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2020年9月23日 (水)

第102回 「体験するアート」

4月3日 (金)

上ノ大作 (うえの だいさく 陶芸家 造家)

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縄文人、野生児として

 

第102回例会は、内外で大活躍の上ノ大作にお願いした。多彩な挑戦者らしく、陶芸家の枠を超えて、造形家のアートワークの方が増えているようだ。つねづね自在な発想をするアーティストであると感じてきた。

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いうまでもないが、表現者にとっていちばん大事なことは何ものからも自由であるということ。束縛(制約)や限界をこえて、前に向かって走ること。そうすればこれまで見えなかったことが少し、みえてくることがある。これは、言葉の上では簡単だが、実際には、うまくいかないものだ。なぜなら自在な発想をするためには、しなやかな精神の躍動が必要だからだ。この精神の躍動こそが、表現の幅を広げ、これまでにないことに挑戦する意思を育くのだ。上ノ大作には、そうした自由な精神の持ち主だ。

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それは脱サラをして、陶芸の道を踏み出したことに表れている。まず自分探しの旅をしたという。北の果てから沖縄まで全国の窯を巡った。それは同時に土の発見であり、さらに陶芸がいかに奥深いものであるかを肌で知る旅でもあった。それを踏まえて現在、北広島に工房を築いている。

さて上ノ大作の作品の魅力は何だろうか。陶芸家としては、焼き締めの作品が多い。そうした陶芸の枠を超えて、現在は、屋内外の空間に作品を設置するプロジェクトに挑戦している。空間装置を作りあげるのであるが、そこで注目したいのが素材の選び方だ。土や樹や竹などを使っている。仮設の作品であるが、制作のプロセスも開示しながら進めている。つまり公開制作というわけだ。私が最近みたのが、茶廊法邑での個展。そこでは数日にわたって竹を組み続けた。完成した作品は、あたかも1つの生命体として、空間を自在に動きまわり、生気を放っていた。

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完成品も素晴らしいが、制作過程がとても興味深かった。空間の把握が的確なのに驚いた。偶発にみえるがしっかりと計算されていた。実は、彼は苫小牧工業高等専門学校を卒業し、金属製のモニュメントを製作する会社に勤務し、そこで構造計算を担当していたのだった。空間の把握は、お手のものだったようだ。

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考えてみれば、土も樹も竹もすべて自然素材だ。人工のものではない。つまり人の命に繋がっているのだ。今回のレクチャーで、いちばんおもしろいと感じた作品がある。一つは、「Sprouting Garden-萌ゆる森-」(札幌芸術の森)展でのみせたアースワーク。大地そのものを素材にして、焼き締めを行ったようにみえた。スケールの大きな作品であり、コンセプトがユニークだった。他方は、2016年に帯広で開催された「マイナスアート」展に制作したもの。それは「氷筍」という作品だ。素材は水だ。確かに十勝の寒い大地に咲いた<氷の筍>だが、ある種のいのちの芽生えにもみえた。

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 常に自由に生き、常に土を愛し制作する。その姿はどこか縄文人のような熱い魂を抱いた野生児のようだ。(文責・柴橋)

 

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