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2020年4月 5日 (日)

第96回「安部公房-越境する想像力と場一 」

7月19日(金)

■谷口孝男(たにぐち たかお 文芸批評、公益財団法人北海道文学館専務理事) 

 201907sala 

 

安部公房への新たな視座

 

第96回のレクチャーは、谷口孝男(道立文学館理事)にお願いした。久しぶりの文学談義となった。タイトルは、「安部公房 越境する想像力と場」だった。

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いうまでもなく安部公房は、日本の現代文学において忘れてはならない存在だ。ただ残念なことに、最近語られる機会が少ないように感じる。

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そんなこともあり、再び安部文学にスポットを当ててもらった。安部を取り上げてもらった訳はほかにもある。安部の本籍は旭川であり、彼の文学世界を考察する上でも、北海道という<トポス>を抜かすわけにはいかないからだ。

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谷口は、4つのセクションを立てながら論を進めてくれた。

➀安部公房とは何者か

②故郷・旭川と安部公房のいとこ渡辺三子

③道立文学館所蔵・安部公房関連資料

④安部公房のインターナショナリズム。

この様に広く深く安部文学にアプローチしてくれた。そのため時間が不足してしまったようだ。今後機会があったら、ぜひとも提示してくれたテーマ1づつじっくりと論じてほしいと感じたほどだ。

 この短いブログでは、全部にわたってまとめることは不可能にちかいので、私の関心に沿ってまとめておきたい。前衛芸術家としての安部としての活動に触れておきたい。注目すべきは、「世紀の会」を結成し、さらに社会変革を目指して社会的活動を熱心におこなっていたことだ。安部にとって前衛とは、単なる<飾り>ではなかった。全存在を賭して行うべきことだった。その中には、かなり過激なダム建設反対の工作運動もあった。

そんな時期に文学者として問題品を発表した。それが『壁-カルマ氏の犯罪』(1951年)だった。その後、『砂の女』などの<失踪>三部作が書かれた。

 谷口が、レクチャーのタイトルに<越境する想像力>とつけたのはなぜか。これがこのレクチャーの要(かなめ)であろうか。谷口は、安部が旧満州でそだったことを<越境する想像力>の一因としてあげていた。さらに加えるならば、北海道は中央からみれば<辺境>の地である。こうした<場>と<現実>に対し、つねに疎外感と異和感を抱いた文学者だった。世界を辺境として認識する、それを自らの文学の原風景とした。これが安部作品が世界中で読まれている1つの理由かもしれない。

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安部自身は<砂漠が暗示するものは「辺境」である>ともいっている。だからこそ『砂の女』では、現代文化を象徴する空間、つまり辺境としての<砂の空間>を描きだしたのであろうか。安部は、つねに内側にどこでも所属しない、ある種の<辺境>というものを抱えこんでいたにちがいない。安部がカフカの文学に共感したのも、それが影響したようだ。 またこんな見方もできるかもしれない。安部が小説『榎本武揚』で描きたかったのは、明治以来の善悪道徳とはことなる<第3の道>、つまり<辺境>としての北海道があったことを示すことだったかもしれない。それにしてもなかなか刺激的な、そしていろいろな問題を提示したレクチャーだった。

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(文責・柴橋)

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