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2019年10月

2019年10月24日 (木)

第94回「自己の感性と表現を探り60余年」

2019年5月31日(金)

■講師:坂口清一

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画業60年を振り返って

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第94回例会は、画家坂口精一にお願いした。タイトルは、「60年の画業を振り返って」だった。

少し耳の状態が悪いようだったが、<60年の歩み>について熱をいれて語ってくれた。

港町岩内で誕生した時は、一貫350匁の体重で誕生したという。かなりビッグだったようだ。今でもがっちりした体型だ。後年祖母から双子で出生すると思っていた事などを聞かされた、という。

はじめに生地岩内について紹介してくれた。むかしから漁師の街であり、かつては鰊で栄えた。岩内山がそそりたち、海も河もあり風光明媚なところだ。そんな恵まれた環境から、木田金次郎など多くの画家も輩出している。一時小樽派と対抗する位に岩内派と呼ばれる程に画家が道展などで活躍した。

坂口は、少年の頃の風景を大切にしている。特に日本海が造りだす光や音、街の中の匂いや人々の会話が、ドラマチツクな動画となるという。海と共に歩んだ日々を想いだし、こう表現していた。「凪の日を喜び 大時化の日は悲しみを」感じていたと。どういうことか。凪の日は、海難事故もなく安全だが、時化になると大きな事故が起こり、死者が出たりすると悲しみが街を覆うということのようだ。

また自宅前には造船場があり、船の進水の日はいつも航海の安全と豊漁を祈っていたともいう。またこんな体験もした。貝塚発掘の体験をしたが、そこから眼には見えない悠久の歴史の存在に気づかされた。さらにアイヌ文化の素晴らしを学ぶことができた。こうした体験からアイヌ文様などを活かした作品も制作した。 こんなこともあつた。23歳の頃に油絵具一式購入した。F20号の「港」を描いた。その絵はある画家に評を請うと、画面全体に加筆した。その横暴さには唖然としたという。

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この体験から、あることを確信した。指導者は「制作者の感性を理解し、表現に自信と喜びの道へと導くべき」だ。制作者は、「魂の奥底から湧き出る自身の感情を」を描くべきだと。その数日後9月26日に、町半分を焼き尽くした岩内大火に遭遇し、画材も描いた絵も消滅してしまった。

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 公募展にも出品した。道内では全道展に、道外では「自由美術家協会」(1937年創立)に出品し、昭和41年には会員に推挙された。

この画家は、これまで2度にわたって、「生命の光の体験」をしている。光、それはいのちのシンボルとなった。初日の出のサンピラに「いのち光」を感じた。また胃癌手術前日、カーテンの吊り金具部分をみていた。金具が冠に、カーテンが舞う装束にみえた。

坂口は、光を啓示と捉え、大胆な構図の中にそれを描いた。地から放射し、天を割いていった。このように独自な感性を生かして、絵画空間の中に生命の輝きを宿そうとしている。神秘的な光。それが絵画にエネルギーを付与した。これからも、生命の光が満ち溢れれる作品をみせてほしいものだ。(文責・柴橋)

2019年10月17日 (木)

第93回 「島田無響の人と作品を語る」

2019年4月26日(金)


○講 師=松永律子(まつながりつこ 書家・島田無響遺作展実行委員長) 

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多芸の人島田無響

   


第93回例会のタイトルは「島田無響の人と作品を語る」だった。 講師に書家松永律子をむかえた。彼女は、2018年 秋に大通美術館で「書家島田無響遺作展実行委員長」を務めていた。また会場には、無響さんの弟の書家一嶽も来ていただき、思い出も語ってもらった。

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レクチャーの構成と映像づくりに柴橋が協力した。島田は、多芸な人で、まさに多面な分野で活躍した方なので、できるだけ話をコンパクトに進めるため映像も整理した。一番最後に、大通美術館での遺作展に展示した作品を映像で紹介した。

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まず島田無響の歩みを紹介していただいた。東京では興亜火災に勤めつつ、書を津田翠岱に師事した。また滑川マツと結婚した。オシドリ夫婦だった。縁があり札幌に住まいを移し渡辺緑邦に師事し、創玄会や毎日書道展などに出品した。

島田はひときわ多面性を帯びた作家だった。きっぷのいい江戸っ子気質の持ち主で、いつも酒を愛しつつ、何をするにしても遊び心を忘れない方だった。書、歌舞伎、狂言、お茶、いけばな、俳句などジャンルを自在に横断した。

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いけばなは、勅使河原和風流に属して、いつも和の感覚を生かして、優れた作品を披露してくれた。さらに仲間と流派をこえた展覧会「5つの個展」や「風」を立ち上げ、いけばなの枠をこえた革新的な運動を推進してくれた。

いつも学びを続ける方だった。漢詩を深く愛する方で優れたエッセイを書いていた。

自らが主宰した「點の会」(1970年結成)の門下生を引き連れて、漢詩世界と書の現場たる中国への旅をのべ7回にわたって行った。山東省曲阜では書法交流を行い、また泰山では周恩来夫人の磨崖や雲崗石窟などを見聞した。

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さて島田の書世界はどうか。かいてかいてかきまくる方だった。また展示についても、つねに斬新な空間づくりをめざした。特に札幌・京王プラザホテルでの階段空間を活かした構成などは斬新で印象ふかいものだった。絵と文と書の絶妙なコラボレーションをみせてくれた。

またデザイン感覚も鋭く、カナダと道との交流展におけるポスターの意匠は、和の美を活かしたものだった。

このように島田無響は、あくなき探求心を内に秘めた方だった。ここからは少し、柴橋の見方をいれて語っておきたい。私からみて、誰でもない自分の表現を追いもとめていた芸術家だった。晩年には、病に苦しんだが、不自由な身体をのり超えて、筆に自己を託ししていた。創造力は決して衰えていなかった。

一方でユーモア精神にあふれ、冷静に物をみながら自己卑下の姿勢が強い方だった。私たちは、彼から何を学び、何を継承すべきであろうか。まず<和の美>を内に燃やす芸の心ではないか。そして常に自己を新しくつくりだしていくダイナミズムではないか。少しでもそれに近づけることができたら、と想うばかりだ。

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(文責・柴橋)

2019年10月14日 (月)

第92回「前衛音楽の仕掛け人」

2019年2月22日(金)

○講 師=沼山良明(NMA主宰コンサートオーガナイザー)

本業はヤマハ札幌店ピアノ調律師。70年代後半、ジャズ評論家・副島輝人氏との出会いなどで前衛音楽に関心を深め、1983年ドイツのメールス・ニュージャズ祭を観て、世界と日本の音楽情報のギャップに目覚めたことから、同年非営利のNMA(NOW MUSIC ARTS)を発足。国内外の先鋭的な音楽を札幌に紹介するコンサートを企画、開催し、時には道内各地にも紹介している。

これまでに180回を超えるコンサート(6回のフェスティバルを含む)を開催したほか、1995年から2000年には、即興演奏のワークショップを毎月開催。執筆・寄稿に『ジャズ批評』、『ユリイカ』誌ほか、毎日新聞北海道版『ハルニレ』(1997-2001)、北海道新聞夕刊コラム『されど音楽』(2015)など。コミュニティFMさっぽろ村ラジオで音楽番組を担当(2003-2006)。2012年より、ACF札幌芸術文化・フォーラムにて「ACFアートサロン」担当。2
013年、サッポロ・アートラボ主催「第2回北の聲アート賞特別賞」受賞。

 

第92回「前衛音楽の仕掛け人」

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第92回レクチャーを音楽マネジメント沼山良明にお願いした。沼山は、2013年度に「北の聲アート特別賞:日建社賞」を受賞している

タイトルは、「新しい音楽って?」だった。とても刺激的なレクチャーだった。かなり前から沼山の仕事については知っていたはずだったが、新しく分かったこともある。

彼は由仁町で生まれ、学びは岩見沢の農業高校で行った。その岩見沢の地でよく通ったのがジャズ・喫茶「志乃」だった。

音楽は好きだったが、ある時調律師をめざすことを決意した。本州で資格習得を目指した。無事資格を得て、それを生業にした。

ただそこで得たお金を、音楽プロジュースにつぎ込んだ。転機になったのが、ジャズ評論家副島輝人との出会いだった。それが縁で、前衛的な音楽に関心を抱いた。1983年には、ドイツのメールスジャズ祭を見聞し、先端の音楽に打ちのめされた。

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すぐにNMAを立ち上げ、欧米のニュージャズや前衛音楽の紹介に努めた。さらにダンス、朗読、インスタレーションなど、音楽を軸にして他の表現とコラボをめざした。その数は180回を超え、招いたアーティストはのべ230組以上にのぼるという。 

2017年に開催した札幌国際芸術祭ではエ グゼクティブアドバイザーを勤め、札幌市資料館では「NMAライブ・ビデオアーカイブ」をみせてくれた。

レクチャーでは、「NMAライブ・ビデオアーカイブ」から、その招聘した音楽を時間を有効活用して紹介してくれた。そのために使用した映像は、68分をこえた。あらためて聞きながらフリー系ジャズだけでなく、ノイズ音楽がかなり含まれていると感じた。

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このノイズ音楽とは、これまでの音楽的常識からは楽器と見なされないものを楽器や音源として使用し演奏するもの。現在はノイズ系の音楽という括りがありようにポピュラー音楽とも交差している。それほどまでに現代音楽シーンは拡大し、多様化しているようだ。

それにしても、よくこんなにも先端音楽を招聘したものだと思った。いつも人が集まるわけでもないので、かなりの資金を投入したと察した。誰もしなかったこと。それをたった1人で実行してきた。この先鋭的な音楽を紹介するという堅い意志。それには、頭が下がるばかりだ。

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では沼山は、何を目指しているのか。沼山には、この札幌をドイツのメールスにしたいという熱情があるようにみえたのだが……。


 人一倍今日の音楽状況への強い想いがあるようだ。既成のもの、すでに定番となっているもの。その古いゾーンからのがれて、いま一番先端で奮闘している音楽家に連帯すること。そのためにはまずその音を聞かねばならない。

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そしてその音を多くの他者に広めていかねばならない。そんな使命にもえているようだ。全て手弁当で押し広めている。このひたむきな無償の行為に、大きな拍手を送りたい。そして彼の仕事を引き継ぐ方がでてくることを強く期待したい。(文責・柴橋)

第91回 「和の音を紡みだす作曲家」

2019年1月25日(金)

○講 師=二宮毅(作曲家)

1972年愛知県生まれ。

笹川賞、名古屋文化振興賞入賞。第一回東アジア国際作曲コンクール第一位。札幌市、福岡市、韓国テグ市を拠点に、日本の古典文学や伝統芸術に宿る情緒性を反映した作品を多数発表する。作品は毎年アジア各地の現代音楽祭に招待される他、欧州各地でも上演、放送されている。北海道作曲家協会会長。福岡市国際作曲家会議代表。作曲集団KALEIDSM主宰。福岡教育大学教授。2015年ボルドー音楽院(仏)レジデンス作曲家。

「和の音を紡みだす作曲家」

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第91回例会は、作曲家二宮毅を迎えた。現在、福岡教育大学で教えている。札幌に家があり、忙しく双方間を往復している。そんな忙しい中、時間をとってくれてレクチャーを引き受けてくれた。  

タイトルは、「東アジアの音を編む」。副題は、<現代の音楽創作現場>。東アジアを意識した内容だった。それは福岡という場が影響しているようだ。韓国へは船でもいける。距離的には東京より近いという感覚だ。

二宮は、音楽の国際化を意識しながら、より日本的な音を探りつつ、アジアだけでなく欧州にも作品の発表の場を広げている。音には、国境はないといわれる。たしかにそうだ。ただ言葉でいうのは簡単だが、いざそれを実行することは容易ではない。様々な障害もある。

そうした状況でも、すすんで日本の外へ出ていこうとする姿勢には、共感するものがある。私が、今回レクチャーを依頼したのは、過去に彼の新作を聞いたことがあるが、そこには和的な音が息づき、それがより現代化されていたことが大きい。それがとても新鮮に感じた。

実際に韓国のテグ市などや台湾で作品を発表している。そこでの逸話を披露してくれた。韓国では文化支援が手厚いという。

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ただ主催団体同志の「はり合い」があり、その狭間で苦しむこともあるという。また台湾では現地の若手映像作家と「人造衛星墜落」という曲でコラボしたが、そこにもやや文化意識の差を感じている。

二宮は、これまで「南波照間」「風の塔」「氷華」など発表している。

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今回その一部を聞かせてくれたが、そこには、風や水の形象が漂っていた。心が揺れ、広がりのある音だった。繊細な中に、現代性の種子があった。

最近は、和製オペラにも挑んでいる。函館や札幌で上演している。その映像を見せてくれた。「土方歳三 最後の戦い 義に殉じた魂」だ。土方は、幕末期の幕臣、新選組副長である。蝦夷まで来たが、1869年に箱館五稜郭戦争の際、34歳で戦死した。

この「土方歳三 最後の戦い」は、原作・広瀬るみ、台本・塚田康弘、作曲・二宮らにより作られた。いわゆる幕末の志士達が主人公。土方の他に、榎本武楊、黒田清隆、大島圭介などが登場する。

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よくオペラは、総合芸術といわれる。見た感じでは、オペラというより音楽舞台劇という感じだった。語りが多く、そのためやや動きが少なく、また衣装や舞台美術などの構成に課題もあるように思えた。が道内を舞台にした、こうした新しい音楽劇が誕生することを歓迎したい。二宮にとっても、この仕事は大きな収穫となったようだ。

これからも進取の精神を燃やして、和の響きを海の外でも奏で、さらに新しいオペラなどを創りだしてほしいものだ。(文責・柴橋)

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