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2017年6月 1日 (木)

第74回「タイの文化システムから学ぶ―タイ王室と聖書翻訳そして日本」

74 2017526日(金)

講 師: 日高嘉彦(北星学園大学チャプレン・教授)

熊本生まれ。東京神学大学修士課程修了後、キブツ(イスラエル)でボランティアとして働き、その後エルサレム・ヘブライ大学で二年間研鑽を積む。帰国後十年間、牧師をつとめ、1996年からタイ国バンコクの神学校で17年間旧約(ヘブライ語)聖書を教える。この間2002年から2012年までタイ聖書協会。2012年から現職。日本旧約学会、京都ユダヤ思想学会、基督教学会、基督教教育学会会員、神学博士。

翻訳の奥深さを感じた

 第74回は、日高嘉彦(北星学園大学チャプレン)にお願いした。題して「タイの文化シルステムから学ぶ―タイ王室と聖書翻訳そして日本」。

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日高は、これまでいろいろなことを体験してきている。東京神学大学で聖書を研究し、卒業後はイスラエルの「キブツ」でボランティア活動に参加している。さらにイスラエルにあるヘブライ大学でヘブライ語を学びつつ研鑽を積んでいる。

私が、北星学園大学で非常勤講師をしている関係で、日高がタイ語の聖書翻訳の仕事をしていることを知り、ぜひタイのことを含めて教えておしえてほしいとお願いした。


最初にタイと日本の関係について短く話をしてくれた。歴史的には過去において、日本と深い縁のあった国である。山田長政らは日本人町をつくり、経済的交流もあった。そして熱心な仏教国でもある。なにより東南アジアの中では、珍しく王室制度を維持している。これらが、日本が抱くタイに関する一般的イメージであろうか。

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日高の話は、はじめてのことが多く、とても驚くことが多かった。

聖書をタイ語に翻訳するにあたって、長年続いてきたタイ王室の文化が深く影響しているというのだ。いうまでもなく聖書はキリスト教の聖典であり、ヘブライ語で書かれている、だからタイ王室とは全く関係ないと思っていた。それはちがうという。なぜそうなるのであろうか。その理由は、タイ語には、「タイ王語」というものが基本にあるためという。全ては、この「タイ王語」に基づいて翻訳がなされなければならない。

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では「タイ王語」とは何か。それは、王族に対して使う特別な敬語のことという。「タイ王語」は、複雑である。同じ王族を呼称するにしても、高位であればあるほど言葉が長くなり、形容詞などを重ねて飾り立てるという。当然にも、国王の場合が一番長くなるという。日高も紹介していたが、テレビやラジオで王室のことを話す時は、充分な言葉づかいが必要という。アナウンサーは、それを知らないと大変なことになるという。ちなみに王を「プラ・バート・ソム・デット・プラ・チャオ・ユー・フォア」といい、それに「何世」とかをいれるという。そのため落語の「ジュゲム」のようにロングとなる。

つまり「立場」と「身分」などにより複雑な表現が存在するというわけだ。日本で、過去において天皇が何かをのべるとき、自らを敬語で「朕」というが、私達が天皇を指して「朕」といったら、不敬罪になるように、言語表現が厳格なルールにより定められている。

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タイの場合は、王室文化が日常生活においても、全ての基点にあるという。さらにしらべてみると、国王や王妃の誕生日は祝日となり、その祝日には、着る服の色も国王が生まれた「曜日の色」を着用するという。さらに現在でも王への敬愛心が強く、不敬罪が存在するという。

現在、世界のベストセラーたる聖書は、各国で翻訳されているが、また完全ではないという。あるデータによれば、世界に存在する約6900の言語のうち、聖書全巻、つまり旧約聖書の「創世記」から、新約聖書の「黙示録」までの翻訳が終わっているのは、550あまりの言語という。とすれば、ほんの一部にすぎません。とすれば、日高嘉彦が成した聖書のタイ語翻訳の業は、とても貴重なものといえる。

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それにしても、その国の言語というのは、その国や民族が辿ってきた歴史文化と深く絡んでくるものらしい。参加者も、そのことを知り、深い感慨を得たようです。(文責・柴橋)

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