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2017年4月

2017年4月25日 (火)

第72回「デザイン目で掴まえる~3D写真から一日一手まで」

72 2017224日(金)

講 師:市川義一(デザイナー)

1943年東京生まれ。広告代理店等の勤務を経た後、1974年札幌に移住。19923D写真展「Flight Landscape展」、2001年「数学あそび展」、2002年広島市江波山気象館ミュージアム「ラピュータ展」、2005年東京元麻布ギャラリー「市川義一個展」、2015500m美術館「札幌のデザイン展」。

著書:『ラピュータ』『グラグラ日記』。

作品掲載
CG STEREOGRAM』(小学館)

ORIGINAIL 誌』(ドイツ・マンハイム社)
3DLOVE』(東京都写真美術館・図録)


一日一手 その自在な精神運動が孕むもの

 

第72回レクチャーは、「サラ」のメンバーであるグラフィックデザイナー市川義一にレクチャーをお願いした。市川は、自在の人である。何が自在かといえば、精神の働きが自在ということだ。何せ、「発想」が自由で面白いのだ。その自在な精神の運動を存分に紹介してくれた。

Giichi1

まずこれまでの歩みを紹介してくれた、生まれは東京である。広告代理店や制作プロダクションで仕事をしてきた。1974年に札幌に移住し、1988年には、自らのデザイン事務所「フィールド・ノート」を設立した。

最初にみせたくれた市川の父の写真が印象に残っている。昔気質の職人、つまり手で物を造りだすクリエーターの相貌をもっていた。私は、市川のアートワークに特別の関心を抱いているが、それは手の技を大切にしているからだ。手の技や道具を重んじる、それは父のような江戸の職人技が影響しているのでないか。

Giichi2

私は、市川の個展もかなり前からみている。私の記憶では、1992年の「ギャラリー・たぴお」での「3D写真展」が最初だったような気がする。「3D写真展」はかなり変わった写真展だった。自然風景や人物肖像ではなく、サイズの小さな雲の写真だった。一時期、市川はこの「3D写真」にかなりのめりこんでいた。東京と札幌を往復するフライトの中で、窓の外で展開する風景(雲)に虜になり、それを撮り3Dで作品化していた。当時、同じ試みをしていたのが赤瀬川原平だった。市川も赤瀬川も、人が「裸眼立体視」ができることを活用して、行ったわけだ。さらに「雲の3D写真展 ラピュータ」を開催している。その後もグラフィックな技を生かして、ユニークな「数学あそび」にも挑んでいる。

Giichi3

 さて私は、今回レクチャーをお願いした最大の理由(わけ)は、手をつかって「日々の記録」にとり組んでおり、その深化・発展に関心を抱いているからだ。

一日に起こる出来事。それは膨大な情報量である。そこから自分に繋がるものをピックアップし、それを記録としてのこす。その選択に市川の問題意識(社会的な、文化的な)が反映することはいうまでもない。

Giichi4

この「日々の記録」つくりのスタイル、文学的にいえばどこか永井荷風的である。荷風は、40数年にわたり「断腸亭日乗」(日乗とは、日記のこと)を綴った。

市川の「日々の記録」もさまざまに変容している。たとえば墨と筆で「巻物」スタイルに設えたものもある。書字と絵、そのコラボがとてもいい出会いをしていて、私は長い時間かけて「読んだ」ことがある。そしてこう感じた。この長大な記録帖は、手づくりの「現代の絵巻」であると。

 このようにこのデザイナーは、手わざをとても大切にしている。AIの出現に象徴されるように電子脳が大手を振るう現代。情報が飛び交い、自分の場が見えなくなっている今という時間。だからこそ、私達は、自分の手と技に立ち戻るできではないか。やや大袈裟にいえば、「手の復権」ということになるが、そんな難しい言葉を使わなくてもいい。自分の手と脳を少し、使い、動かせばいいのだ。市川は、さらに「一日一手」を続けるという。手は、口以上にモノをいうのだ。そして手とは、原始以来綿々と、偉大な創造者であり続けているのだ。

Giichi5

これまで綴った作品を見せてくれたが、すでに凄い量となっている。この執念、この継続する意志の力。淡々にみえるが、続けることは至難のこと。

ぜひとも継続を期待したい。そこに何を記録するか、そこにどんな心情を吐露するか。何に怒り、何に悲しむのか、その実相をぜひともみたいのだ。(文責・柴橋)

 

 

第71回「繋がっていく小さな出来事」

71 2017127日(金)

講 師:瀬川葉子(美術家)

1955年札幌生まれ。杉山留美子絵画教室へ通う。北海道教育大学特設美術科卒。20代より抽象的作品づくりを行う。「北海道現代作家展」に出品。一時活動を停止、2010年より制作再スタート。厚紙にペンなどでドローイング。生活者の視座で「ファイル」作品づくり。「高橋靖子・瀬川葉子二人展」「一瞬の響き」「ファイル」「4つのdays」「EAU/H」などを開催。現在、精力的に「日記のようなもの」をライフワークとして取り組んでいる。


抽象から日常の地平へ 

 

第71回レクチャーは、美術家の瀬川葉子にお願いした。私の中で瀬川葉子という美術家は、長く抽象画家として存在していた。

Segawa1

道展でも協会賞をうけ、若手の抽象画家として大いに注目をあびていた。湧き上がる想念を、平面の中で幾何学的パターンとして形象化していた。こうした抽象平面づくりを通じて、ある種の「自分探し」をしていたのかもしれない。その頃の心象を瀬川は、こう語っていた。「期待や不安が入り混じりその中にかすかな予感のような手がかりが浮かびあがってくるが、それがまだ脈絡のない、何かが起こる前の予感に満たされた保留の状態」と。

Segawa2

Segawa3

まさに<何かが起こる前>という予感に満たされた状態で、制作は一時休止した。休止に至る身辺の変動を今回少し語ってくれた。結婚、出産、育児があったという。その生活の変動の中で、身体に異変が起こり、制作できない状態が続いた。20年近いブランクをのりこえ、再出発をきった。ブランクのトンネルをこえてから、瀬川のアートワークは平面絵画から転じ、さまざまな身辺のものを使うことになる。

最初は、廃棄される紙や、コピー用紙、封筒が素材となった。そこにボールペンや筆ペンでドローイングを残した。日々のドローイングが、彼女の身体を回復させ、さらに見えないものと接しているという感覚を得たという。ドローイングを行っていると「人間であることと、自然の中から生まれ、その繋がりの中に共鳴しながら在る事」を知らされたとのべている。つまり無意識的な行為であるドローイングが、自然や人間との繋がりをつくる営みとなり、特別な意味を帯びてきたわけだ。

Segawa4

さらに日常性の中に数多くの素材があることに、無上の喜びを感じた。ティッシュ箱、お菓子の箱に使用されているボール紙、梱包材、糸屑、毛糸、ゴムなど使った。そんな素材を使った作品をクリアファイルに綴じた。少しずつ形態も自由な形態を帯び、抽象性をみせてきた。

Segawa5

こうして自分の日常空間から、素材を見出し、それからアートワークを立ちあげていった。私は、このレクチャーの中で、瀬川は現代歌人の歌に深く共感すると語っていたことを、重くみたい。1つは、葛原妙子の「水の音つねにきこゆる小卓に恍惚として乾酪黴びたり」。テーブルの上でチーズが黴びている日常の情景なのだが、「幻視の女王」といわれる歌人はそこに「水の音」を聞いている。瀬川は、この「水の音」は、生活の場、つまり台所での音ではないかと察している。いわば瀬川は、葛原の歌がつねに日常の向こうにもう1つの「幻視」の光景をかいまみていることに心を騒がしたようだ。現代歌人糸田ともよ「雨の日に届く封書は森のにほい おりたたまれた木の葉の弾力」にも感じるものがあるという。歌人は、「雨の音」を聴きながら、届いた封書に「森のにほひ」を嗅ぎつつ、手に葉の気配は残ったという。瀬川は、「手にするとささやかな喜びを感じる封書の感触と、私の憧れであり故郷である森が、雨の日のにおいとともに重なり、森からの便り、というようなイメージが喚起された」という。瀬川は幼少期、定山渓の自然から大きな恵みを受けていた。そのことを、この歌から思い出したのであろうか。

さらに瀬川は、テキスタイルデザイナーのヨーガン・レールの作品づくりの仕方にも興味ふかいものがあるという。ヨーガン・レールは、沖縄の浜辺で拾ったゴミで照明器具を制作した。廃棄し、捨てられたものが、光を発するものになっていたからだ。

歌人やデザイナーが日常の小さなこと、それを大きな力として人の意識に深く作用する作品を造りだしていること。そのことに深く心撃たれたのだ。

Segawa6

瀬川もまた、「しなやかな感性」をバネにして、日々の「生のいとなみ」をなにより大切にしながら、そこから美の在りかを探している。近作には「森は水を湛えて」(2017年)がある。そこではちぎる、削る、塗る。垂らすという行為を積み上げ、作品は大きな空間を開示している。新しい方向に向かっているようだ。見た人は確かにそこに「森」の気配を感受し、またある者は「森」の中を歩いている感覚を得ていた。どんな美の形象が生まれるか楽しみにして待ちたい。(文責・柴橋伴夫)

 

 

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