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2017年4月25日 (火)

第71回「繋がっていく小さな出来事」

71 2017127日(金)

講 師:瀬川葉子(美術家)

1955年札幌生まれ。杉山留美子絵画教室へ通う。北海道教育大学特設美術科卒。20代より抽象的作品づくりを行う。「北海道現代作家展」に出品。一時活動を停止、2010年より制作再スタート。厚紙にペンなどでドローイング。生活者の視座で「ファイル」作品づくり。「高橋靖子・瀬川葉子二人展」「一瞬の響き」「ファイル」「4つのdays」「EAU/H」などを開催。現在、精力的に「日記のようなもの」をライフワークとして取り組んでいる。


抽象から日常の地平へ 

 

第71回レクチャーは、美術家の瀬川葉子にお願いした。私の中で瀬川葉子という美術家は、長く抽象画家として存在していた。

Segawa1

道展でも協会賞をうけ、若手の抽象画家として大いに注目をあびていた。湧き上がる想念を、平面の中で幾何学的パターンとして形象化していた。こうした抽象平面づくりを通じて、ある種の「自分探し」をしていたのかもしれない。その頃の心象を瀬川は、こう語っていた。「期待や不安が入り混じりその中にかすかな予感のような手がかりが浮かびあがってくるが、それがまだ脈絡のない、何かが起こる前の予感に満たされた保留の状態」と。

Segawa2

Segawa3

まさに<何かが起こる前>という予感に満たされた状態で、制作は一時休止した。休止に至る身辺の変動を今回少し語ってくれた。結婚、出産、育児があったという。その生活の変動の中で、身体に異変が起こり、制作できない状態が続いた。20年近いブランクをのりこえ、再出発をきった。ブランクのトンネルをこえてから、瀬川のアートワークは平面絵画から転じ、さまざまな身辺のものを使うことになる。

最初は、廃棄される紙や、コピー用紙、封筒が素材となった。そこにボールペンや筆ペンでドローイングを残した。日々のドローイングが、彼女の身体を回復させ、さらに見えないものと接しているという感覚を得たという。ドローイングを行っていると「人間であることと、自然の中から生まれ、その繋がりの中に共鳴しながら在る事」を知らされたとのべている。つまり無意識的な行為であるドローイングが、自然や人間との繋がりをつくる営みとなり、特別な意味を帯びてきたわけだ。

Segawa4

さらに日常性の中に数多くの素材があることに、無上の喜びを感じた。ティッシュ箱、お菓子の箱に使用されているボール紙、梱包材、糸屑、毛糸、ゴムなど使った。そんな素材を使った作品をクリアファイルに綴じた。少しずつ形態も自由な形態を帯び、抽象性をみせてきた。

Segawa5

こうして自分の日常空間から、素材を見出し、それからアートワークを立ちあげていった。私は、このレクチャーの中で、瀬川は現代歌人の歌に深く共感すると語っていたことを、重くみたい。1つは、葛原妙子の「水の音つねにきこゆる小卓に恍惚として乾酪黴びたり」。テーブルの上でチーズが黴びている日常の情景なのだが、「幻視の女王」といわれる歌人はそこに「水の音」を聞いている。瀬川は、この「水の音」は、生活の場、つまり台所での音ではないかと察している。いわば瀬川は、葛原の歌がつねに日常の向こうにもう1つの「幻視」の光景をかいまみていることに心を騒がしたようだ。現代歌人糸田ともよ「雨の日に届く封書は森のにほい おりたたまれた木の葉の弾力」にも感じるものがあるという。歌人は、「雨の音」を聴きながら、届いた封書に「森のにほひ」を嗅ぎつつ、手に葉の気配は残ったという。瀬川は、「手にするとささやかな喜びを感じる封書の感触と、私の憧れであり故郷である森が、雨の日のにおいとともに重なり、森からの便り、というようなイメージが喚起された」という。瀬川は幼少期、定山渓の自然から大きな恵みを受けていた。そのことを、この歌から思い出したのであろうか。

さらに瀬川は、テキスタイルデザイナーのヨーガン・レールの作品づくりの仕方にも興味ふかいものがあるという。ヨーガン・レールは、沖縄の浜辺で拾ったゴミで照明器具を制作した。廃棄し、捨てられたものが、光を発するものになっていたからだ。

歌人やデザイナーが日常の小さなこと、それを大きな力として人の意識に深く作用する作品を造りだしていること。そのことに深く心撃たれたのだ。

Segawa6

瀬川もまた、「しなやかな感性」をバネにして、日々の「生のいとなみ」をなにより大切にしながら、そこから美の在りかを探している。近作には「森は水を湛えて」(2017年)がある。そこではちぎる、削る、塗る。垂らすという行為を積み上げ、作品は大きな空間を開示している。新しい方向に向かっているようだ。見た人は確かにそこに「森」の気配を感受し、またある者は「森」の中を歩いている感覚を得ていた。どんな美の形象が生まれるか楽しみにして待ちたい。(文責・柴橋伴夫)

 

 

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