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2016年10月

2016年10月28日 (金)

第67回 私のやきもの

67 2016826日(金)

講 師:葛西義信(藍山窯・陶芸家)

1973年砥部焼窯元「梅山窯」入社。

1978年日本クラフトコンペ京都入選(京都勧業館)。

1981'81日本クラフト展入選(銀座、松屋)。

1982年余市町豊岡築窯「藍山窯」設立。

1983年朝日現代クラフト展入選(梅田、阪急)。

1985年東京・荻窪「銀座」個展、以降毎年開催。

1986年より札幌で個展。

現在栗沢町美流渡に藍山窯を開いている。



北の自然に育まれた器達

 

第67回レクチャーは、「私のやきもの」と題して、栗山・美流渡(みると)にすむ葛西義信(陶芸家)にお願いした。今回私は、このレクチャー準備にあたって美流渡にある葛西の工房「藍山窯」を訪れ、やきものを造る現場と作品などを拝見させてもらった。この時に制作する光景を撮影させていただき、それをレクチャー用の映像資料に活用させてもらった。そのこともあり、ここでは藍山窯の見聞を含めながら、レクチャーの内容を私なりの視点でまとめておきたい。

Kasai1

始めに葛西はこれまでの歩みを 短く語ってくれた。葛西は、1946年に天塩町生まれた。家は酪農(牛飼い)を営んでいたという。葛西は、故郷を離れ、関東へ出て仕事に就いた。働きながら、鎌倉にある佐助窯に出向いて、小竹章の「通い弟子」になった。さらに陶芸家を目指して、1972年には愛媛県にある歴史ある砥部(とべ)焼の梅山(ばいざん)窯に入社した。日々技法を磨きながら作品を造った。と同時に、意欲的に日本クラフトコンペなどに出品した。1982年には、独立して余市豊丘に藍山窯を設立した。朝日クラフト展などに入選(1983年)した。さらに自作を並べて荻窪「銀花」や札幌丸善で個展を開催するまでになった。一九九〇年から栗山・美流渡に移住し、現在に至っている。

Kasai3

Kasai2 

まず葛西は、北海道では数少ない「ろくろ成形」の磁器づくりをしている。私が、葛西に声をかけて、レクチャーをお願いしたのは、その磁器づくりの素晴らしさをみんなに知ってもらいたいと考えたからである。今回は、会場にたくさんの作品や道具類をもってきてみせてくれた。素材となる京都から取り寄せている石も持参してみせてくれた。  

私たちは、なかなか職人の手足となる大小様々な箆(へら)や布などの道具類をじかに目にすることはできない。だからとても興味深かった。特に梅山窯の先輩からいただいた道具は、まさに職人がいのちのようにして大切にしているものだったようだ。後輩にそれを預けることは、お前も「しっかりといい仕事をせよ」を励ましているようだ。また手製の小さな道具も使っている。私が関心を抱いたのが手製の米藁を捩じったもの。針金のようにシャープにカットする時に、力を発揮するという。工房でも感じたことだが、葛西の器を造る時の仕草をみていると、ほとんど無駄がないことに気づかされた。珈琲カップの手持ち部分、その補強の技も見事だった。熟練した職人技、その極みを感じた。

Kasai4

葛西は、人々が暮らしの中で使うものを造っているが、北の自然で出会った植物や花をモチーフにしている。葛西は、かつて案内状にこう書いている。「ここ美流渡も、山葡萄の葉が色づいてきました。山の熊も喜んでいる様です。美流渡の自然にかこまれてコツコツ作った器達」と。まさに美流渡の自然に囲まれながら、コツコツと器づくりに勤しんでいる。

Kasai5

いうまでもなく器達は日々使われることで、新しい光を放つことになる。そう考えると、器を造る仕事は、とてもやりがいのある仕事であるわけだ。たしかに小さな存在ではあるが、それが無いと生活に潤いがなくなってしまうし、心に安らぎが与えられなることもある。これが日常の中の美、その価値であろうか。

では葛西義信の器の美、その魅力とはどんなものであろうか。数点あげておきたい。

まずなんといっても美しくめぐる北国の四季を味わいながら、そこで感受したものを大切に制作していることだ。そして身近なものを素材にしていること。桜、芍薬、葡萄、木苺、カタクリ、梅などを白い肌に図柄として織り込んでいる。 白地はとても質素にみえるが、なかなか品がある。そして自然の中にある色を大切にしながら、色づけしている。またある時は、紅色や鉄絵を添えている。それらが白地によく映えている。

Kasai6

最後にこれからのことを少し語ってくれた。10月24日から29日まで時計台ギャラリー個展を開くという。

なにより今後も自分のスタイルを壊さずに、北の自然で出会ったものを素材にしながら、生活の中で生かす「器」づくりをしていきたいという。最後に「美流渡のアトリエに、どうぞあそびにきてください」といってくれた。(文責・柴橋)

 

第66回 「サグラダ・ファミリア/ガウディ没後100年・聖堂完成2026年」

66 2016728日(木)

講 師:木下泰男(建築家)

道都大学非常勤講師。北翔大学北方圏学術センター研究員。北海道スペイン協会副会長。

19891991年渡西、建築家J.Maジュジョールの研究
1996年日本建築学会・全国設計競技1等賞+島本賞受賞
1998年世界建築博覧会・奈良TOTO建築トリエンナーレ展2席受賞2002年第6回札幌国際デザイン賞大賞受賞

書籍

『マドリードのカステーリャを知るための60章』共著(明石書店)『スペイン文化読本』共著(丸善出版)

サグラダ・フアミリアの魅力を堪能

サラ・メンバーの建築家木下泰男に「サグラダ・フアミリア」についてレクチャーをお願いした。木下は、日本では数少ない建築家ジュジョールの研究家としても知られており、バルセロナやカタルーニャ地方での調査研究体験を踏まえて、存分にこの聖堂の見方を語ってもらった。よくガウディを深く知るには、カタルーニャの歴史と文化を知ることが大切といわれる。

Kinoshita

木下は、まずその文化構造の源泉から解き明かしてくれた。この地で政治的実権を握ったのがバルセロナ独立伯。その後12世紀になると、バルセロナとアラゴンが手を結び連合王国を形成する。13世紀には、この連合王国は、地中海世界(南イタリア、南ギリシャ、シチリアなど)に植民地を築いた。それが最大の栄光の時代だった。

Kinoshita3

残念ながら、新航路の発見以降、次第に政治の中心は、カスティリャに移っていった。ただ米西戦争に敗れ、カスティリャの権威が揺らぎはじめると、カタルーニャが経済的発展をベースにして再び主導権を握りはじめた。と同時に、「モデルニスモ」といわれる運動が進展する。日本では「近代主義」と訳し、フランスやベルギーで開花した、生命性と有機性に富んだ「アール・ヌーヴォ」と同一視する傾向があるが、政治・経済・文化的な広汎にわたる革新運動であり、根っこには反カスティリャ主義と自治精神が深く絡んでいる。私たちは、とかく文化事象を表層から眺めて、それで終わりという傾向に走ってしまいがちだ。やはりどんな文化事象にも、その地で醸成された特有の文化土壌があるものだ。何も研究家にならなくてもいいので、少し事象の奥にあるものを掘り下げることが大切のようだ。

Kinoshita2

次に木下は、「サグラダ・フアミリア」を味わう、幾つかの視点を提示してくれた。当日の私のメモから数点でまとめておきたい。「サグラダ・フアミリア」以前に、ガウディは、アフリカのタンジールで仕事をしているが、そこにすでに「塔」「螺旋」のデザインが立ち現れているという。パトロンとなった産業資本家グエル氏の存在が大切であること。建築構造には、波のウェーブなど自然から学んだことが生かされていること。ガウディ自身「レウス覚書」では、「自然には何1つとして単調で画一的なものはない」とのべている。色彩を多用するのも、自然から学んだというわけだ。

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特に建築学的に重要なことは、この地方特有の薄い煉瓦を積み重ねる手法(カタルーニャ・ヴォールト)が応用されていること。これはゴシック建築からつづく伝統的な「ペンデンティブ」pendentive 日本では穹隅(きゅうぐう)と訳している)を意識しているが、それとはやや異なるこの技法は独創的という。また身廊の列柱には、森をイメージして「フルーティング」(縦条溝)が施してあるという。また良く知られているように、逆さ吊り実験をして曲線を編みだしている。このように建築家の眼からみれば、ここには様々な建築技法が織り込まれていることになる。

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さて急ピッチで建設が進行している「サグラダ・フアミリア」。それがいいかどうか、論議がわき起こっている。私は個人的に、この急ピッチ路線に反対である。なぜなら教会(聖堂)の石は、「神の肢体」として存在し、1つ1つを積み上げることで「祈り」の空間が完成するからである。あくまで聖堂は、「神の家」「祈りの家」であるからだ。

またこの聖堂は、ローマ・カトリック教会から「バシリカ」として正式に認定されたことでも世界的話題となった。しかし、この聖堂は、当初からローマ・カトリック教会は絡んでいない。あくまでこの地にあった民間の「聖ヨセフ信心会」が構想したもの。私たちは、ガウディは、この「聖ヨセフ信心会」から委託をうけて建築を始めたことを、忘れてはならないのだ。

木下は、最後にローマ法王がここでミサを行った映像をみせてくれた。たしかにステンドガラスも嵌められ、そこから光が注ぎ壮麗な空間に姿をかえている。木下は、そのことを報じた現地の雑誌記事を紹介してくれた。そこには、「法王が、サグラダ・ファミリアにひざまつき、至福に包まれた。まばゆいばかりのガウディの聖堂の身廊がテレビを通じて世界に配信。法王の御訪問は、世俗主義に対する苦言を呈するものだったが、後味の悪さが残った」とあった。世俗主義とローマ法王(ローマ・カトリック教会)。なかなか難しい問題を孕んでいるようだ。

Kinoshita6

この聖堂は、正式は「聖家族贖罪聖堂」という。いままさに完成へ向けて工事が進むなか、私たちはこの「聖家族」に捧げられていること、3つの「門」は、生誕、受難、栄光をシンボライズしていること。トータルでみれば、キリストによるこの世の罪を救う「贖罪」が主題であることを、今一度思い起こすことがとても大切のようだ。(文責・柴橋)

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