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2016年8月

2016年8月 5日 (金)

第65回 震災地大船渡に築いた絆アート

65 2016624日(金)

講 師:原田ミドー(彫刻家)

1963年江別市生まれ。東京造形大学彫刻科卒業2003年~2004年アントニオ・ガウディ建築専門学校修了。

2005年より札幌白石サイクリングロード(現在ココロード)のトンネル内に地域住民とともにモザイクアートを施す。全トンネル完成は2025年予定。2011年より、2015年まで岩手県大船渡市にて復興モニュメント制作。

絆のモニュメント
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第65回は、サラメンバーの原田ミド―に「震災地大船渡に築いた絆アート」と題してレクチャーをお願いした。原田は、当日大船渡から戻ってきたばかりで寝不足のままの状態でレクチャーにのぞんだ。90分間、いかに大震災に向かいあったか、熱をいれて語ってくれた。最初にこれまでの「歩み」を紹介してくれた。

東京造形大学で佐藤忠良に師事した。忠良先生は、「対象をみつめて造形をきわめよ」「彫刻はうけを意識してはだめ」といわれた。ただ忠良先生は、厳しく造形を問い詰めながらも「ジーパン」や「帽子」など現代的感覚を持ち込んでいて、原田はそれに親しみを感じたという。

大学を卒業し、1997年に北海道に戻ってきた。しかし大きな彫刻の仕事ができないことに焦った。その後、北海道文化財団芸術家海外研修事業の助成をうけてバルセローナのガウディ建築学校に留学した。ホアン・ミロと協働制作しているアルテガスさんからは、「彫刻家なら社会との接点を築きながら、公共的な仕事にチャレンジしなければいけない」「芸術家は、街を新しく創造する」といわれた。それが大きな問題提起となった。それが現在、札幌で取り組んでいる「サイクリングロード・トンネル」の仕事や、今回の震災アートへと繋がってきているようだ。

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さて原田は、震災が起こった2011年3月11日のことは忘れられないという。札幌の絵画教室で教えていた。自分の体もゆれ、テレビの画面も揺れた。そして仙台市の災害シーンが飛び込んできた。阪神淡路大震災の時もボランティアで行ったが、今度もすぐに「いなくちゃ」と想ったという。何かに導かれるようにして岩手県大船渡市赤崎町にむかった。現地の歯科医が土地を提供してくれ、さまざまなサポートをしてくれた。その歯科医は、「芸術家が100人いても、本当の芸術家は1人しかいない」「その1人が君だ」といってくれた。利害や採算をこえて、「苦しんでいる人のため」に何かをしてあげたいと考えること。そういう心を持つ原田だからこそ、「その1人が君だ」と宣言してくれたわけだ。

モニュメントを造る場は、海の近くだった。原田がみせてくれた写真には、流れてきた舟がそのまま放置されていた。そんな災害の記憶がまだ残る場で、セメントを練り、タイルを貼ることを始めた。幸運なことにタイルを提供してくれた業者がいた。また全国から来た1000人位の方々が作業を手伝ってくれた。最終的に35トンの材料を用いた。最初は、滑り台を構想したが、次第に変化していった。全体にグラデーションをうまく活用し、生気ある色彩にした。アーチには、バルセローナで見聞した「ガウディのアーチ」も取り込んだ。

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何度か滞在する中で、石巻の学校ではモザイクタイルの授業を行った。その時、1人の男の子と出会った。震災で母を亡くしていた。この子は天国にいる母に向けて詩を作った。みんな苦しみを味わいながら、それでも明日に向かって生きようとしていた。それに心を動かされたという。

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5年3ヶ月かけて、モニュメントが完成した。その間の制作光景をみせてくれた。それをみていて、これは大変な作業だったと感じた。あくまで原田は、他所(よそ)から来た人。だから地元の人とはどこか溝があったようだ。近くにきて作業をみていても、共に手を動かす人は多くはなかったという。

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タイトルを「明日へのラブレター」とつけた。原田には心に決めたことがあるという。「使命感に燃えて」ではなく、むしろ「造形物」が街の復興に少しでも役に立つことを第一にしたという。だから「明日へのラブレター」とつけた。深い言葉だ。「現在」よりも「明日」に託している。それは悲惨な震災を乗り越えて、この街の人々がこのモニュメントの周りに集まり、希望を抱いて「明日の時間」を生きること、そんなことを願ったのであろう。なかなか素敵なネーミングである。とかくモニュメントとなると、死んだ方々の追悼を意識したものになる。大船渡のモニュメントは、それとは違う。過去に向かず、「明日」という時間に向かっているのだ。(文責・柴橋)

2016年8月 3日 (水)

第64回 失われていく札幌の建築を見つめて

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講 師:山下和良(建築家)

1971年札幌生まれ。北海学園大学法学部卒業、北海道建築研究会、通称ホッケン研代表(株)オフィスやました代表取締役学生の頃より札幌の古建築を撮影する。

解体前・解体中・解体後のビフォーアフター撮影をこよなく愛する。記録だけでは満足できなくなり、2010年に北海道建築研究会(ホッケン研)を立ち上げる。特に戦後の素敵な住宅にターゲットを絞り、訪問・取材・撮影を続けている。

古い建築への愛を感じた
 

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建築家山下和良に「失われてゆく札幌の建築を見つめて」と題してレクチャーをお願いした。山下は、学生時代より札幌の古建築と出会い、それを写真に記録してきた。それが高じて、仲間と共に北海道建築研究会を立ち上げ代表となっている。古建築とは「築50年以上」の建築を指すという。50年といえば、まだ「若い建築」であるが、札幌ではそれが種々の理由で取り壊わされているという。その古建築を「元気なうちに」見ておきたいとフィールドワークをしている。それを続けていると、不思議なことに「古建築」がかけがえのない「人」にみえてくるという。

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さてレクチャーは、2部構成になっていた。1部は「失われた建物」、2部は「残った建物」。1部ではまず「エゾライト」といわれた田上義也が設計した「小熊邸」を紹介した。田上義也は、世界的建築家、あの帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの弟子。この小熊邸の主は、北海道帝国大学農学部の教授であった小熊棹(まもる)だった。この建物は、その後北海道銀行が所有したが、老朽化が激しく取り壊す予定だった。それを市民グループが立ちあがり「保存」運動を展開した。現在、この「小熊邸」は、運動の力で移築・保存され藻岩下にある「ろいず」が経営するコーヒー店となっている。

山下は、移築される前に家のある部位を入手した。今回山下は、会場に持参して見せてくれた。フランク・ロイド・ライト風のデザインだった。その後もかなりの貴重な古建築が解体され、この世から姿をけした。

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山下は、順番に写真で紹介してくれた。私にとっても懐かしい建物がたくさんあった。またこんな価値があったのだと気づかされたものもあった。少しその名を挙げてみたい。「旧札幌逓信局」(片山隆三の建築)「旧・拓銀の本店」。「旧・札幌市民会館」。「藤学園キノルド記念館」。最近では「王子サーモン館」(旧北海道ホルスタイン会館)。個人的には、歴史的建造物であったこの「王子サーモン館」の取り壊しが心に残っている。なぜなら札幌市の開発計画により壊され、そこに新しい市民ホールが建てられているからだ。古い価値を壊し、そこに多大な経費を使い新しいものを創る、これが札幌市の標榜する創造都市札幌の実際である。

岩井俊二監督の映画「ラブレター」のシーンに登場したのが小樽の旧・坂(ばん)別邸。炭鉱主であった坂家の別邸として、田上の設計により建設された。残念ながら2007年に焼失した。円山にあった田上の設計といわれる「旧相内邸」は、レストラン「アン・セルジュ」となっていたが姿を消した。山下の話を聞いていて、田上建築が最近まで姿をみせていたことを知った。それが知らない内にどんどん姿を消していることに改めて驚いた次第だ。保存の方法がなかったのか悔やまれる。法律をつくるとか、保存指定をするとか、知恵がほしい。そのためには、市民の中に「建築は人」「生きている空間」という意識が高まる必要があることはいうまでもない。

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 つづけて現在、残されている建築について、山下流の楽しい見方を教えてくれた。アトランダムに紹介しておきたい。デザイナーの栗谷川健一邸は上遠野徹の建築で、エル字形の大きな窓が個性的。八雲町公民館は、田上の建築。春香山の本郷新のアトリエ、これも田上の建築。真駒内青少年会館は、「メタボリズム」を提唱した黒川紀章の建築。札幌パークホテル(旧・三愛ホテル)は、ル・コルビジェの弟子坂倉準三の作品。有田焼のタイルを使用している。北海道銀行本店は、床や内装面もユニークという。札幌にある、外見が威圧的表情をみせる農林中央金庫は、ドイツ・ナチス建築のスタイルをみせているという。こうしてみると、まだまだ残された建築にも優れた作品が多いようだ。
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山下のように「建築を人」としてみる視座は大切と感じた。そしてその建築に宿った時代の思想(イズム)を読み取ることで、新しい出会いと発見があるかもしれない。そのためには、自分の足でまず歩きつつ、建築といい出会いをすることが大切なようだ。

(文責・柴橋)

2016年8月 2日 (火)

第63回 Suomiの大樹 ジャン・シベリウス

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講 師:駒ヶ嶺ゆかり(声楽家・日本シベリウス協会理事)

‘96年館野泉氏音楽監督による「ノルディックライトin Sapporo」に出演し、初めて北欧歌曲に出会う。’98年よりフィンランドに渡り、館野泉氏とマリア・ホロパイネン氏の許で研鑽を積む。

オウルンサロ音楽祭(フィンランド)をはじめ、「シベリウス生誕150年記念」(東京)、「丹波の森国際音楽祭」「北欧音楽祭すわ」など国内外の音楽祭に出演。4年間8回のリサイタルを開催した『シベリウス歌曲全曲演奏会』を完遂。

札幌文化奨励賞、札幌市民芸術大賞、道銀芸術文化奨励賞受賞。

シベリウスの音世界の背後にあるもの

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札幌在住の声楽家・駒ヶ嶺ゆかりに、「suomiの大樹」と題してレクチャーをお願いした。「suomi」とは、フィンランド語では「湿地帯」の意で、さらにフィンランド共和国をあらわしている。「suomiの大樹」とは、音楽家・ジャン・シベリウスのこと。 

シベリウスは、2015年に生誕150年を迎えた。北欧文化と深い繋がりのある北海道。私は、生誕150年に合わせて、シベリウスのことを語ってくれる人を探していた。

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最適の方がいることにきづいた。1998年よりフィンランドに渡り、館野泉とマリア・ホロパイネンの許で研鑽を積み、シベリウスの曲を歌っている駒ヶ嶺ゆかりにお願いした次第だ。

このレクチャーでは、「スオミ」の歴史と文化を踏まえながら、シベリウスの人と音楽世界について、十全に語ってくれた。その全てを短い紙幅では紹介しきれないので、数点に絞ってまとめておきたい。

まずスオミの歴史と文化について。フィンランドは、広大な森と美しい湖の国だ。なんと湖は約19万湖あるという。また建築やデザインの国でもある。アルヴァ・アアルト(建築)、イッタラ(デザイン)、NOKIA(携帯電話)など。いがいだったのが、珈琲、バナナ、ローソクの消費量は世界1という。また教育国で、人々は読書時間をとても大切にしているという。

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よく指摘されるように、フィンランドの歴史・自然とシベリウスの音楽は深い関係がある。これまでフィンランドは、強国に挟まれ、幾多の受難を味わってきた。13世紀から長くスウェーデンの支配下にあった。また一時、ロシアの支配下に入り大公国となった。

政治的独立を達成したのが、1917年のこと。しかし第二次世界大戦では旧・ソ連に敗れ、カレリア地方南部を喪失した。それは日本の北方領土が旧・ソ連に奪われたことと同一の体験となった。シベリウスは、祖国や民族のことを題材にして曲づくりをした。それだけではない。自らの気質もフィンランド音楽と深い縁を結んでいるという。「沈んだハーモニー」「モノトーン」は、「抜きがたい気質」とまでいう。この「沈んだハーモニー」「モノトーン」などは光、風、水などが発する自然の霊力を含んだものであろう。

駒ヶ嶺は、シベリウス家のことを少し紹介してくれた。音楽一家だった。また叔母エヴァリーサは、シベリウスの音楽的才能に気付いてくれた人という。シベリウス自身、叔母のことを「僕の太陽」といった。父方の叔父からは、星座と音楽のことを聴いたという。

またシベリウスは特異な才能があった。子供の頃から音楽を色で感じたという。イ長調は青、ハ長調は赤、へ長調は緑など感受した。

シベリウスは、異国の都市ウィーンで、民族の叙事詩たる「カレワラ叙事詩」と出会う。自分の体内に流れる民族の血を自覚した。そしてこう言い放った。「森羅万象が我々人間に向かって語りかけてくる世界こそ『前衛』そのもの」であり、「カレワラ」こそ、「音楽そのもの」「主題と変奏」があると。

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そこから生まれたのが、初期の合唱付き管弦楽曲「クッレルヴォ」(作品番号7)。ここで「クッレルヴォ」のDVDをかけてくれた。「クッレルヴォ」は、英雄の勇敢と悲劇、さらに自然の中で男女の愛を描いている。駒ヶ嶺は、この作品には「真のフィンランド音楽のたしか目覚め」とシベリウス音楽の「着実な萌芽」があるという。

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私達にとって一番身近な曲は、やはり「フィンランディア」であろうか。この作品は、祖国の歴史を踏まえた「歴史的状景」(作品25)の一部。1899年11月4日の「放送記念日の音楽」の終曲が「フィンランディア」であった。その際の名称は、「フィンランディアは目覚める」。以来、独立した作品として演奏された。この曲のメロディは賛美歌としても歌われている。詞は、「立ち上がれフィンランドよ 誇り高く」となかなか愛国的だ。

全体として、シベリウスの音世界の背後にあるものとは何か、それがいかにシベリウスの音楽を理解する上で大切なことか、知ることができたレクチャーであった。

(文責・柴橋)

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