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2016年5月

2016年5月25日 (水)

第62回よみがえる『炭鉱(ヤマ)の記憶』-歌志内と交差した作家

第62回=2016年2月26日(金)

●講 師=佐久間 淳史(歌志内教育委員会職員)

1962年歌志内生まれ。歌志内市教育委員会事務局職員。市郷土館「ゆめつむぎ」において『炭鉱(ヤマ)の記憶』を掘り起こす特別展、イベント等を企画。
ボランティア団体「歌志内市郷土館支援組織ゆめつむぎ通信員」と共にゆかりの作家
高橋揆一郎文学忌『氷柱忌(つららき)(2008~)』開催ほか、日本初の炭鉱をテーマとした子ども向け教材PCソフト(2002)開発。


歌志内に花開いた文化

 

第62回のレクチャーに迎えたのが、佐久間淳史(歌志内教育員会)。私が佐久間淳史と出会ったのは、数年前に伊福部昭の評伝を書いている時のこと。伊福部昭の盟友となった作曲家早坂文雄が歌志内にある安楽寺に大変世話になっていることを知り、そこを訪れた。早坂文雄は、安楽寺に起居し、後に歌志内中学校の校歌を作曲している。

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 そこで「歌志内郷土館ゆめつむぎ」の展示資料を拝見しながら、かつての炭鉱都市歌志内がいかに発展していたか、そして多くの文学者が訪れていることに驚かされた。それでぜひとも歌志内の歴史と文化を紹介してほしいと依頼した。この文化塾は、札幌で開催しているが、札幌中心に偏ってもいけないと考えている。地方文化にも目をむけていきたいと考えている。

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たしかに現在は、歌志内は、日本一のミニ市となっている。エネルギー革命以後、炭鉱街が衰退し、過疎化が進んだ。JRの駅もなく交通の便もわるい。しかしかつては、日本の経済を牽引した石炭産業の中心都市であった。佐久間は、石炭がいかに経済的牽引力となったか、産業革命や明治以降の日本の歴史を踏まえて語ってくれた。石炭を運ぶため北海道炭鉱鉄道会社は北海道で2番目の路線を開設した。それは明治24年頃のことをいう。

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歌志内の炭鉱の繁栄は広く知られた。文学者もここを訪れた。その1人が、千葉市銚子生まれの国木田独歩(1871-1908)だった。国木田は、明治28年に歌志内に来訪した。佐久間は、文学者の生き様にも関心があるようだ。国木田の文学性の特質だけでなく、私的生活(最初の妻となった佐々城信子など)についても言及してくれた。国木田は、この地の体験と印象を『空知川の岸辺』(明治35年)を著した。

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 もう1人の文学者の姿がある。私小説で名をはせた青森生まれの葛西善藏だ。葛西が、北海道を放浪したのは1718歳の頃という。岩見沢駅で車掌をし、行商、砂金人夫などの仕事を転々。さらに芦別市新城の山中にある御料地で枕木伐採事業に携わった。その体験をベースにして『 雪をんな』を著した。佐久間が写真で紹介してくれたが、芦別にある「雪をんな」の字も刻まれた葛西の文学碑。

 あまり知られていないのが、三浦(堀田)綾子(1922-1999)が、ここで代用教員をしていたこと。勤務したのが神威尋常高等小学校。佐久間は、三浦に教えてもらった方にあったことがあるという。最初で最後の教員生活だった。この教員体験が、『銃口』という小説に生かされたという。

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 はやり歌志内を代表する文学者といえば芥川賞作家の高橋揆一郎(1928-2007)であろうか。高橋は、ここの炭鉱長屋に生まれ、自らも住友石炭鉱業で働いた。高橋の文学性は、炭鉱の文学を超えている。深い人間への愛がある。ただ残念だったのが、揆一郎文学について、詳しく語る時間が残っていなかったこと。参加者から「揆一郎文学は、もっと読まれるべきではないか」「高く評価されるべきだ」との意見が寄せられた。私も全く同感である。『観音力疾走』は名作であり、不滅の光を放っている。人間存在を深く、鋭く、そして温かく描いた作品は、いまこそ読まれるべきである。小林多喜二の『蟹工船』がいま再び、若者達に読まれているように、揆一郎文学が復活すると信じている。なぜなら彼が描く文学には、見かけは粗暴だが心が温い男が登場するからだ。そこには哀切な物語だけでなく、実に逞しく生きる人間が極太に描かれている。

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また歌志内では高橋揆一郎を記念し、毎年「氷柱忌(つららき)」を実施している。

ぜひとも、多くの方が歌志内にある「郷土館ゆめつむぎ」を訪れることを希望したい。実際に使われた炭鉱の道具類や一般家庭で使われた懐かしの品々もある。そこで何かを発見するはずである。

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(文責・柴橋)

2016年5月 2日 (月)

第61回ノーザン・クリエーション

第61回=2016年1月29日(金)

●講 師=山田 良(建築家、アーティスト)

1968年東京都生まれ。芝浦工業大学大学院建設工学専攻修士課程修了。建築意匠を学ぶ。東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現研究領域博士後期課程修了。
環境芸術と風景に関する研究を行う。博士(美術)、一級建築士。国内外の受賞歴多
数。

現在、札幌市立大学大学院デザイン研究科准教授。ロシア・ノボシビルスク国立建築芸術大学客員教授。


建築とアートの「ハザマ」で

 

第61回レクチャーは、建築家・アーティストの山田良にお願いした。山田は、新しい視点からアート作品を発表している。本人は、それを「建築」と「アート」との「ハザマ」での仕事と呼んでいる。そのどちらにも「規定」されることなく、より自分の関心と興味をベースにして自由に制作することを目指しているようだ。

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山田は、1968年に東京都で生まれている。父は職人であったという。いうまでもなく職人とは、手でものを造るプロだ。山田は、作品づくりにおいて、父譲りの職人技(気質もふくめて)を大切にしているようだ。

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はじめに自らの「アートの基点」とは何かを語ってくれた。一言でいえば「空間」と「時間」を軸にしながら、日常性からの体験や思考を大切にしているという。

日本人には、独自な空間思考やしなやかな想像力があるという。その例を挙げていた。日本人は、樹や石に綱などを結ぶことで、「聖なる空間」と「俗なる空間」を区別し、そこに「あるゾーン」や「結界」が生じることを知っていると…。また日本人は少ない情報や素材でアートを造る才覚があるともいう。たとえば枯山水の庭では、白砂や岩で「禅の心」を表し、その庭は、見る者の想像力を喚起する装置ともなると。

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また同じ道でも速度を変えて歩くとみえる風景が違ってくるように、「空間」「時間」は、行為する者により自在に変化するという。その変化をとても大切にして、「時間」や「空間」を作品に取り込むことにチャレンジしている。

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その一例をあげてみたい。2013年に海外研修に取り組んだアーティストたちの作品を紹介する『未来を担う美術家たち 16th DOMANI・明日展』が、東京・六本木の国立新美術館で開催された。テーマが「未来の家」だった。山田は、自然(風景)の中に入って、北の風や川の音を聴く3つの「家」、(「朝の家」「昼の家」「夜の家」)を築いた。それを撮影し、それを会場に流した。それぞれの「家」の映像には、3つの時間(朝、昼、夜)が流れ、場の澄んだ「北の光」や「清浄なる風」や「水のオーラ」が溢れていた。まさに北の「時間」と「空間」をアートの素材にしたわけだ。

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次にこれまでに発表した幾つかの作品を紹介してくれた。「Vertical Landscape」(札幌芸術の森美術館 2009年)では、中庭に安価で丈夫な農芸用の寒冷紗を素材にして「ゆれる」ランドスケープを現出した。想像力を喚起したのが、『アクア・ライン』展(札幌芸術の森美術館 2013年)で見せた「海抜ゼロメートル/石狩低地帯」だった。この作品は、地政学的な視野を持ちこんだ意欲作だった。40〜100万年前の道内、その時間空間を身体で感受させようとした。館内に高さ2m、幅60センチ、全長24.58mの狭い桟橋を築いた。実際に私も登ってみたが組まれた細い廃材から、ギシギシ音がして、なかなかスリリングな体験だった。歩行した者は、この地帯ではおよそ地上2mに海水面があった、その古層の時空にタイムスリップしたわけだ。

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「芽吹く、生長する」という意味をもつ「スプラウト」をテーマした「Sprouting Garden」展(札幌芸術の森美術館 2014年)展では、野外に『Air Garden/空の枯山水』を設えた。この作品もまた、スリリングな場を構築した。なんと 地上4.2mの高さの橋を仮設し、その先端まで行くことができた。


 個人的に興味を引いたのが、小樽市の歴史的保存建築たる旧・拓銀でのインスタレーション(2015年)。タイトルは「自由としての文机の杜/ Freedom Desk。空間全体に高さ3メートルの高さに、たくさんの椅子を置いた。それは「椅子の森」だった。この作品は、一時小林多喜二も生活していたこの商都小樽の記憶に深くコミットした。「Freedom Desk」には、決して奪われてはいけない「精神の自由」「表現の自由」が付託されてしているように感じた。

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私は、山田のレクチャーを聴きながら、強く感じたことがある。それはこの作家の自由な発想である。そこには、「流動する精神」が作動していた。山田は様々な風景(ランドスケープ)を作り出しているが、常に固定することとなく「流動」しているのが特色だ。それは作家にとって大切な個性でもある。これからも、建築とアートの「ハザマ」で、心身が「ゆれる」風景を築いてほしいものだ。(文責・柴橋)


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