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2016年5月 2日 (月)

第61回ノーザン・クリエーション

第61回=2016年1月29日(金)

●講 師=山田 良(建築家、アーティスト)

1968年東京都生まれ。芝浦工業大学大学院建設工学専攻修士課程修了。建築意匠を学ぶ。東京芸術大学大学院美術研究科先端芸術表現研究領域博士後期課程修了。
環境芸術と風景に関する研究を行う。博士(美術)、一級建築士。国内外の受賞歴多
数。

現在、札幌市立大学大学院デザイン研究科准教授。ロシア・ノボシビルスク国立建築芸術大学客員教授。


建築とアートの「ハザマ」で

 

第61回レクチャーは、建築家・アーティストの山田良にお願いした。山田は、新しい視点からアート作品を発表している。本人は、それを「建築」と「アート」との「ハザマ」での仕事と呼んでいる。そのどちらにも「規定」されることなく、より自分の関心と興味をベースにして自由に制作することを目指しているようだ。

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山田は、1968年に東京都で生まれている。父は職人であったという。いうまでもなく職人とは、手でものを造るプロだ。山田は、作品づくりにおいて、父譲りの職人技(気質もふくめて)を大切にしているようだ。

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はじめに自らの「アートの基点」とは何かを語ってくれた。一言でいえば「空間」と「時間」を軸にしながら、日常性からの体験や思考を大切にしているという。

日本人には、独自な空間思考やしなやかな想像力があるという。その例を挙げていた。日本人は、樹や石に綱などを結ぶことで、「聖なる空間」と「俗なる空間」を区別し、そこに「あるゾーン」や「結界」が生じることを知っていると…。また日本人は少ない情報や素材でアートを造る才覚があるともいう。たとえば枯山水の庭では、白砂や岩で「禅の心」を表し、その庭は、見る者の想像力を喚起する装置ともなると。

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また同じ道でも速度を変えて歩くとみえる風景が違ってくるように、「空間」「時間」は、行為する者により自在に変化するという。その変化をとても大切にして、「時間」や「空間」を作品に取り込むことにチャレンジしている。

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その一例をあげてみたい。2013年に海外研修に取り組んだアーティストたちの作品を紹介する『未来を担う美術家たち 16th DOMANI・明日展』が、東京・六本木の国立新美術館で開催された。テーマが「未来の家」だった。山田は、自然(風景)の中に入って、北の風や川の音を聴く3つの「家」、(「朝の家」「昼の家」「夜の家」)を築いた。それを撮影し、それを会場に流した。それぞれの「家」の映像には、3つの時間(朝、昼、夜)が流れ、場の澄んだ「北の光」や「清浄なる風」や「水のオーラ」が溢れていた。まさに北の「時間」と「空間」をアートの素材にしたわけだ。

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次にこれまでに発表した幾つかの作品を紹介してくれた。「Vertical Landscape」(札幌芸術の森美術館 2009年)では、中庭に安価で丈夫な農芸用の寒冷紗を素材にして「ゆれる」ランドスケープを現出した。想像力を喚起したのが、『アクア・ライン』展(札幌芸術の森美術館 2013年)で見せた「海抜ゼロメートル/石狩低地帯」だった。この作品は、地政学的な視野を持ちこんだ意欲作だった。40〜100万年前の道内、その時間空間を身体で感受させようとした。館内に高さ2m、幅60センチ、全長24.58mの狭い桟橋を築いた。実際に私も登ってみたが組まれた細い廃材から、ギシギシ音がして、なかなかスリリングな体験だった。歩行した者は、この地帯ではおよそ地上2mに海水面があった、その古層の時空にタイムスリップしたわけだ。

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「芽吹く、生長する」という意味をもつ「スプラウト」をテーマした「Sprouting Garden」展(札幌芸術の森美術館 2014年)展では、野外に『Air Garden/空の枯山水』を設えた。この作品もまた、スリリングな場を構築した。なんと 地上4.2mの高さの橋を仮設し、その先端まで行くことができた。


 個人的に興味を引いたのが、小樽市の歴史的保存建築たる旧・拓銀でのインスタレーション(2015年)。タイトルは「自由としての文机の杜/ Freedom Desk。空間全体に高さ3メートルの高さに、たくさんの椅子を置いた。それは「椅子の森」だった。この作品は、一時小林多喜二も生活していたこの商都小樽の記憶に深くコミットした。「Freedom Desk」には、決して奪われてはいけない「精神の自由」「表現の自由」が付託されてしているように感じた。

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私は、山田のレクチャーを聴きながら、強く感じたことがある。それはこの作家の自由な発想である。そこには、「流動する精神」が作動していた。山田は様々な風景(ランドスケープ)を作り出しているが、常に固定することとなく「流動」しているのが特色だ。それは作家にとって大切な個性でもある。これからも、建築とアートの「ハザマ」で、心身が「ゆれる」風景を築いてほしいものだ。(文責・柴橋)


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