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2015年4月27日 (月)

「Bゼミ時代から今日まで-開催日2014年1月30日(金)-

講師

松田 研(美術家)

 1951年小樽生まれ。1973年から2年間Bゼミ(横浜富士見町アトリエ)に学ぶ。1975年から「ペインティング1」(東京・多摩美大構内)、「ペインティング2」(鎌倉・楓画廊)などを出発点に、2007年まで継続発表。「ペインティング1」のドキュメントは、現在Danneil-Library of The City of NewYorkに所蔵。展覧会は「京都アンデパンダン」「北海道現代美術展」「旅する現代美術」ほか多数参加出品。

会場 ト・オン・カフェ  札幌市中央区南9条西3丁目2-1マジソンハイツ1F

受講者??

「絵画とは何か、平面とは何か」を考えた。

第51回例会は、小樽在住の美術家松田研(Kiwamu Matuda)にきてもらった。
タイトルが「Bゼミ時代から今日まで」だった。最初に自分の歩みを短く語ってもらった。
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1951年に小樽高島に生まれた。家業は水産加工だった。小樽の北照高校を卒業後、1972年に札幌で出て「北海道舞台制作」(創立者新村訓平)に勤務した。短期間だったが舞台装置や照明などを担当した。そこでスタッフの仲間から、「Bゼミ」という横浜に現代美術を学ぶスクールがあることを知らされた。松田は意を固めてこのスクールの門を叩いた。
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1974年から1976年まで第一線で活躍していた芸術家の実践的レクチャーをうけた。この「Bゼミ」とは「Basic (ベーシック・ゼミナール)」に由来する。始めた人は誰か。画家の小林昭夫だった。彼は、渡米し1957年頃からサンフランシスコ・アートインスティテュート・オブ・ファインアートで学んだ。帰国後、美術家斎藤義重らの協力を得てこのゼミをスタートした。なによりジャンルの横断をめざし、気鋭の講師に講義をお願いした。
 松田が、親しく交友した同じ受講生に諏訪直樹がいた。 当時の美術界で注目された気鋭の美術家だった。互いに影響を与えあった。レクチャーで松田は諏訪の作品を紹介してくれた。初期にはミニマルなワークや平面空間を構築し、後にジャポニスム的な作風(屏風形式など)を展開した。ただ大好きなカヌーに乗って川で事故死した。松田は、諏訪が自分のことに触れた文を読んでくれた。それによると諏訪は小樽の松田のアトリエまで来ている。またその文には松田の仕事から大きな刺激をうけたともあった。松田の作品群をみていて、松田の仕事は、ある意味同じ問題意識を抱いていた友人諏訪のアートワークを継承しているとも感じた。
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さて松田のアートワークの最大の特徴は、「ペインティング」にオリジナルな描法を駆使したこと。自分なりの描法を見出すために、かなり苦しんだようだ。そのことをこう語っていた。「描く対象を、また平面に対しての取り掛かり、そして関わりを見出すことができず悶々としていた。乱描の日々が2年程つづきました」という。
その模索の中で「2本の線の交叉」、つまり交差(クロス)という方法を見出した。まさに「われ、発見せり」だった。以来、松田をこのクロス(交差)を追求している。はじめは、かなり身体性を持ち込んだ。多摩美大構内(75年)、田村画廊、楓画廊(77年)などでの作品はそれを示している。さらに抽象的な平面空間の中に、いかに自分の生を刻印するかを探った。
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 松田は、北海道に戻ってから、現代美術の仲間達と精力的に活動した。私からみて1980年代の道内美術界を牽引していた1人だった。ギャラリー「タピオ」での個展や、盛んに展覧会にも参画した。「北海道現代作家展」(道立近美 1984年)「シーサイド展」(小樽税関跡地 1982年)「サーキュレイション85」(札幌マルサ 85年)などである。さらに「北海道 今日の美術 イメージ群86」(道立近美 1986年)に選抜されている。私は、今回のレクチャーの準備をするために小樽のアトリエを訪ねた。美術について談論した。そこから私が感じたことを、ここで記録させていただきたい。
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特に強調しておきたいことは、松田の絵画的営為の先駆性についてである。その短い「クロス」(交差)の描法は、なにより「原初的な身体行為」であり、絵画の成立のベースとなる。そしてその反復が語りだすものは、実に重いものがあることを。その重いものとは何か。私はこう考えている。それは「自分の生の確かさ」を、それを記録することであり、さらにいえば「絵画が純粋にしなければならないことを真摯に志向」していると…。絵画とは何か、平面とは何か、そんなことを久しぶり考えさせられた一夜となった。
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(柴橋伴夫)

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