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2013年8月

2013年8月30日 (金)

「書道で、リラックス」 

SAPPORO ART LABO 2013 サッポロアート・ラボ 第35

「書道で、リラックス」          -開催日2013628日(金)-

■講師

□柏木 志泉(書道家)

1967年岩見沢生まれ。2003年北海道書人展会友。2004年「書現」学生部審査員、手本を揮毫。2006年北海道書道展第二部会友。2011年より札幌矯正管区月形刑務所書道クラブ講師。2012年「形象展」同人。「2009-開」「2010-奏」「2011-旬」等、個展連続開催中。今年6月にも開催。現在、アトリエ太極で書道を中心に活動

■会場 札幌市市民活動プラザ星園 札幌市中央区南8条西2丁目

■受講者20

 


 
 

<気象の書>柏木志泉

 「サラ」メンバーの書家柏木志泉(旧名・志保)に登場してもらった。タイトルは「書道で、リラックス」。書を共に書くことあり、会場を「札幌市民活動プラザ星園」に移した。

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 最初に柏木から、会場設営(構成)について説明があった。自らが主宰する書道教室「美育」のスタイルを継承しているという。みんなが囲みあうスタイルで、和やかな雰囲気をかもしだしてくれた。まずこれまでの個展について紹介があった。

2009年以降、毎年、長沼にある「ポエティカ」(建築家畠中秀幸の設計で連続個展を開催している。「ポエティカ」は、ポロナイクリニックの隣にある多目的空間であり、音楽会場やゲストハウスの性格もある。沢の上のある、橋のような建築にもみえる。

柏木は、「ポエティカ」で「開」「奏」「旬」「還」「快」を主題にして個展を開催している。これらの主題は、個展会場となる「ポエティカ」の周辺にある自然の力(水や風や光)や、会場空間の力から触発(啓発)されて決めたという。その「場の力」を感じてもらうために、今回の個展「快」会場を映像で流してくれた。「サラ」メンバーの上遠野敏が映像づくりに協力してくれた。

 

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 柏木は、なぜこの場にこだわっているのであろうか。そして書(字)にいったい何を託しているのであろうか、映像をみながら、説明を聞くことができて、とてもよく理解することができた。私も昨年から個展を見させていただいているが、改めて「場の力」の大きさと、柏木が意図(表現)するものを掴むことができた。柏木は、道路から画廊空間への導入線、そして「ポエティカ」の内と外を繋ぐ「気の流れ」などをとても大切にしているようだ。「奏」では、何か不可視な力(パワー)が降り立った感じになり、それを大切にした。また今回の「快」では、心の躍動、開放を主題にして、「和気皆暢」「得意則歓」「歓逸」「欣慕」などの書字を選び、さらに、その書字にふさわしい場も意識して配したという。たとえば「和気皆暢」(わきかいちょう)は、「天地の和気がみち広がる様」を象徴し、この書を見ながら空を見上げながら宇宙のエネルギーを感じ、足もとからは、大地のエネルギーを感じてほしいと願っているようだ。

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とすれば個展は、「外の気」(自然の気)と、<内なる気>(身体の気)の「往還」を明らかに目指しているともいえる。いうなれば、「ポエティカ」の場に臨在するものに身を寄せながら、水辺(淵)に<龍>が住むことを覚えつつ、太陽の光に<恵>や<愛>が潜むことを体得しているのだ。書家にはいろいろな方がいるが、これはあくまで、私の直感による見方ではあるが、柏木は、<気象>の書家ともいえるかもしれない。

 さて柏木がみんなの前で、デモンストレーションをしてみせてくれた。ゆっくりと硯に墨を注ぎ、太い筆に墨をたっぷりと含ませ、紙へ筆を降ろしていく。それを何度か繰り返していく。その身体的動きがとても自然だった。書人は、書字を、筆をもつ手で記すのでなく、身体全体を駆使しながら、その筆の運びにより紙の空間に刻印していくもの。参加者は、それを目の前でみることができて、感動していた。制作の現場に立ち会うことで、今度、書を見る時に、何かの参考になるといえるかもしれない。

 

 

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この後、それぞれ用意してくれた文房四宝(筆、墨、紙、硯)を選んで、実作にチャレンジした。はじめは、「リラックス」する余裕がなく、やや緊張していた方々も、次第に「乗って」きていた。

今回は、沢山の筆を用意してくれた。高価な、孔雀の羽による筆もあった。「どの筆を使おうか」、みんな楽しそうだった。私は、自作の詩「雨が降る、私の心の中に」を書いた。制作した作品を前に並べて、それぞれに「自作」について、短くコメントしてもらった。力作あり、個性的な作品ありだった。みんなの作品を見ていて、書には、自然とその人らしさが出てくるとも感じた。最後に、作品を前にして全員で記念写真を撮った。「和の美」の典型としての書。その奥深さも実感した。何れにしても、楽しい時を過ごすことができたレクチャーだった。

文責・柴橋伴夫)

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「札幌とNY−都市の風景」   

 SAPPORO ART LABO 2013 サッポロアート・ラボ 第34

 「札幌とNY−都市の風景」       -開催日2013531日(金)

□佐藤 雅英(写真家)

1945年稚内生まれ。国内外の芸術家、都市の歴史。建築などを撮り続けている。韓国、中国魯迅美術館等で写真展開催。最近は札幌やNYの都市風景を撮影。2000年に「現代日本の写真」日本を代表する110名に選抜。主な写真集『北の貌』『愛札幌』など。主な受賞歴は、第5回東川国際写真賞特別賞、札幌市民文化芸術賞、北海道文化奨励賞など。現在、(財)日本写真家協会会員

■会場 ト・オン・カフェ  札幌市中央区南9条西3丁目2-1マジソンハイツ1F

■受講者30

 


 
 

「燃える男」写真家佐藤雅英

 

札幌を拠点にして、旺盛な活動を展開している写真家佐藤雅英にレクチャーをお願いした。タイトルは、「札幌とNY-都市の風景」。これまで数多くの写真集を編み、さらに中国、韓国などの海外でも個展を開催している。

 

                           

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 最初に北海道と写真がいかに深い関係があるか、語ってくれた。日本で最初に写真館が出来たのが、1862年。7年後の1869年に、北海道に開拓使が設置された。中央政府への報告を行うために、新メディアたる写真を大いに活用したという。

佐藤はこういう。「写真の黎明期と北海道の開創期が偶然にもリンクした」「北海道は、コミュニティ史と写真が堅く結合した、写真史上においては、世界的にみても稀な地域である」と。そんなドキュメント写真の発祥地たる現場に生活していることを踏まえて、「歴史や人間を撮ろう」と決意したという。

 

もう1つ、デザインの世界から脱して、写真家へ進む契機になったことがあるという。光と闇の画家レンブラントへの敬愛があった。「写真で何ができるか」「写真の可能性」を考える上で、レンブラントの名作「夜警」との出合いは、大きな力となった。オランダ、アムステルダムにある国立美術館に足を運び、その作品の前に立ったとき、強く「うちのめされ」たという。そして自分の進む道をはっきりと自覚したという。またパリの風景、夜のパリとも出会い、そこに住む人間と都市が織り成すドラマにも刺激をうけた。

次に手がけてきた代表作『北の貌(ぼう)』『北大恵迪寮』『NY 都市の風景』『愛 札幌』などを見せてくれた。代表作たる『北の貌(ぼう)』には、物故者となった方々も含めて芸術家の肖像がいきいきと活写されている。14年間の歳月を費やした。撮影は、かなり意識して、すべて自然光で撮ったという。非凡な人間性を、できるだけ浮き彫りにできるように、アングルなども工夫したという。こんな逸話を紹介してくれた。カメラ嫌いの原田康子を撮影するまで、14年間かかったこと。芥川賞作家高橋揆一郎は、彼の書斎の押し入れからカメラを向けたという。

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 『北大恵迪寮』は、多くの学生が学んだ建物(寮空間)を、人格を帯びた「生きた肖像」として捉えている。この寮が壊されることを聞き、「写真により記録化」を願い、大学側(学長)だけでなく、そこで生活している寮生達の許可も受けて、寮に入った。そこから貴重な「ドキュメント」が完成した。

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どうも都市も「生きた肖像」のようだ。NYの摩天楼に身を置くと、自分が小さくみえるという。最初の撮影が、1979年というから、すでに30数年間にわたってNYを撮り続けている。空撮での写真を見せてくれた。その風景がとても美しかった。

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今はなき、同時多発テロ前の建築が、その写真には残っていた。それを見ていると、テロの悲劇が重い鎖となって胸につきさってきた。当然にも同時多発テロ後も、その現場に身を置いている。また松井秀喜選手が活躍したヤンキーススタジアムを撮影した写真や、ジョン・レノンが暗殺された場に作られた「記銘」なども見せてくれた。

発熱都市NYとの「付き合い」は、まだまだ続きそうだ。一方でアジアへも、熱い眼差しを送っている。中国東北三省や韓国の文化人・芸術家の肖像撮影や、歴史的建物の撮影も継続している。いまや、アジアの写真家になろうとしている。それがどう展開していくか、とても楽しみでもある。

私は、このレクチャーを聴きながら、写真家の内に今も躍動する「燃えるような好奇心」「挑戦する意志」に改めて感心した。まさに「燃える男」である。

さらに、被写体は異なっていても、「生きた肖像」としての写真づくりに、いのちを燃焼させてほしいものだと感じた。(文責・柴橋伴夫)

「舞踏と神体−舞台芸術とセラピーのはざまにて」

SAPPORO ART LABO 2013 サッポロアート・ラボ 第33

「舞踏と神体舞台芸術とセラピーのはざまにて」 

-開催日2013426日(金)-

■ 講師 

★ 竹内 実花(舞踏家)

1966年生まれ。1995年から舞踏活動開始。国内外10ヶ国、30都市以上での招聘公演、ワークショップ活動。日本ダンスセラピー協会理事、協会認定ダンスセラピスト。舞踏デュオ「偶成天」での活動の他、多様なジャンルとコラボレーション。童話「人魚姫」で札幌劇場祭2010サプライズ賞、2012年北の聲アート奨励賞受賞。現在、竹内実花BUTOH研究所を主宰。

■会場 ト・オン・カフェ  札幌市中央区南9条西3丁目2-1マジソンハイツ1F

■受講者30

 

 

「舞踏と身体性」に着眼したレクチャー

 

脱OLから、舞踏家の道へ、劇的な転身を遂げたアーティスト竹内実花。竹内は、1995年に突如舞踏活動を開始し、1996年に森田一踏とともに舞踏集団「偶成天」を旗揚げた、それが出発点という。2002年4月からは、札幌市内に「竹内実花BUTOH研究所」開設している。

舞踏は、いまや世界語「BUTOH」となっている。日本では、土方巽らが開始した暗黒舞踏の活動と分かちがたく理解されている。舞踏との出逢いにより、竹内は「はるか、遠くにしまっていた記憶や感情が自分の中から表出してきた」という。いわば「自分探し」の契機となったようだ。

 

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 この時は、ちょうど、大学院での研究論文を書き上げたばかりということもあり、テーマである「身体性と舞踏」「セラピーと身体」という視座で、いまなぜ舞踏が、身体心理療法の方法となるのか語ってくれた。現在は、舞踏家だけでなく、身体心理療法のボディラーニング・セラピスト、認定ダンスセラピストとして、他方面で活躍している。

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 初めに、いくつかの公演ビデオクリップを見せてくれた。竹内も、「もう少し舞踏作品を用意したほうがよかったかもしれない」というように、代表的な作品を選んでみせてほしかった面もある。東日本大震災に向けた「鎮魂の夕べ」(札幌)や、評価の高かった「人魚姫」の難しい演技がみえたことは収穫であった。演劇評論家飯塚優子は、この「人魚姫」での身体表現について「可憐な童話に込められた哀しみの物語を、圧倒的な存在感と美しさで表現した。人魚の尾の強靭な表現、またその誇り高い尾を捨て」、その後頼りなく不恰好な人間の足で立つ苦痛は、「舞踏でなければ表現できない」と批評しているほどだ。

 私の中では、これまで舞踏とセラピー治療とも繋がりがやや不分明であったが、竹内の活動を通じて、舞踏が、身体と精神と隔てた壁を崩し、内的な自己開放におおきな作用を果たすことを知らされた。 

 どうも舞踏の身体所作、たとえば超スローな動きなどは、心的な緊張をほぐす力を宿しているようだ。実際にみんなでやってみた。「では3分間かけて、握った自分の手をゆっくりと開きましょう」の声で開始した。3分間は、かなり長かった。この時竹内は、「花が開く速度を意識することが大切です。それは人間が忘れている速度です。」と語ってくれた。花が咲く速度、それは私たちが、ほとんど忘れてしまっている、そんないのちが開く速度でもあるようだ。

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 現代人は、見えない、たくさんのストレスに包囲されている。

極度のストレスから自己を開放すること、それがとても重要な課題となっている。竹内は、そこに着眼し、舞踏により身体治療の方法を探っている。その意味で、日本で生まれた舞踏の根源性を、世界にむけて発信し、その可能性(未来性)を大いに切り開いているともいえる。その第一人者の、レクチャーを聴けてことは、とても意義あることだ

った。

 海外での活動にも、たくさん参加している。その一端を紹介してみたい。私が、気になったものを記しておきたい。1997年には、ヨルダン国際ダンスフェスティバル、偶成天シアトル招待公演「U‐NE‐RI」、ワシントン州女性刑務所にてダンスセラピーとして舞踏ライブ実施。1999年には、一ヶ月に及ぶ国際BUTOHプロジェクト「Ex..t!'99」に舞踏家・振付家として招聘され、ベルリン、シュロス・ブローリン、シュチェチン(ポーランド)公演。

 2000-2001年は、アメリカ・ダンスセラピー学会(ADTA)にて舞踏ワークショップを指導し、ダンスセラピー領域における舞踏的アプローチを開始したという。

 その後も、クラコフ(ポーランド)、ビルバオ(バスク地方)、ボストン、アムハースト(アメリカ)、ロンドン、オックスフォード(英国)、バルセロナ(スペイン)、ロッテルダム(オランダ)などで、公演や活動に参加している。さらに沢山あるので、興味ある方は、彼女のホームページなどを覗いていただきたい。

レクチャーの中で、私が関心を抱いたのが、2010年の、ロンドン・モーズレイ病院でのダンスセラピーだった。驚いたのが、このプログラムは、ロンドンにあるTate Modern美術館(発電所を改造した)との連携にて実施されていたこと。人のヒーリングとアート・プログラムが、密接に繋がっている。それが公的な美術館が軸になって実施している。日本は、遅れているとも感じた。この分野の積極的な試行と構築が必要なようだ。

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 最後に、ひとこと。竹内実花は、2012年度第1回「北の聲」アート奨励賞を受賞しました。それを記念で、お願いしたレクチャーでした。また今年の6月22日と23日には、札幌やまびこ座「にんぎょひめ―舞踏に言葉が響くとき」の再演が決っています。ぜひ見てあげてください。

(文責・柴橋伴夫)

「私の版画制作(古事記をモチーフに)」

 

SAPPORO ART LABO 2013 サッポロアート・ラボ 第32

「私の版画制作(古事記をモチーフに)」  -開催日2013222日(金)-

講師 

中谷 有逸(版画家)

1936年札幌生まれ。1972年現代日本版画展出品。1974年モダンアート協会会友賞受賞、会員となる。1982年第5回北海道現代美術展優秀賞受賞。1987年帯広市文化奨励賞受賞。1995年美の現場=中谷有逸「大地とのダイアローグ」、「見えざる碑像」展。1996年十勝文化奨励賞受賞。1999年帯広市文化賞。道立近代美術館、道立帯広美術館に作品収蔵。■道展会員、道版画協会会員、平原社会員、プチ・アトリエ主宰。

■会場 札幌市市民活動プラザ星園 札幌市中央区南8条西2丁目

■受講者30

 


 
生のドラマを刻む版画家 中谷有逸

 

第32回レクチャーは、版画家中谷有逸(帯広在住)の「私の版画制作―古事記伝をモチーフにして」だった。中谷は、しっかりとテーマにあわせて、準備をしてくれた。1つは、作品づくりを理解してもらうための「物の準備」。もう1つは、いかに創作をしているかを、言葉で説明するための準備。

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 初めに制作上の技法の説明があった。版画をはじめた頃は、他の人と同じく、油絵具を使いながら木凸版をメインにしていた。版の凹部に黒いインクをつめ、凸部に色をつけてプレス機で刷っていた。現在は、ステンシル版を使用している。「古事記」などの作品では、炭を素材にして自家製絵具なども使って、独自なマチエールを構築している。

 

 さていかに版画づくりをしているか、その工程も披露してくれた。作家の「マル秘」部分でもある。こんな工程を取るという。発想からスタートし、イメージの視覚化、最後に原画制作へ。一番大切なのは、「精神的なたかまり」という。「精神的なたかまり」が、脳や思考中枢に刺激をあたえ、その時に生起した、やや漠然としたもの、それが創作の発芽となり、その時の「映像」がとても大事という。それを具体的なものにするために、デッサンを重ねていく。興味深いのは、その原デッサンを、2倍に、そしてさらに拡大し、下絵となるものを獲得するという。そこで初めて、線で原画を書くことになる。  

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中谷は、抽象的な版画を制作している。だからこそ、「イメージの視覚化」のプロセスが、とても大切なようだ。この時、中谷は、「イメージの視覚化」を支えるのは、「視覚的な造形感性」であると、語ってくれた。

 

中谷という版画家は、その「視覚的な造形感性」によって導かれた、独自な線を活用している。いうまでもなく、版画家それぞれに独自な線やフォルムが存するものだ。では「中谷の線の個性とは」とは、どんなものであろうかと問われならば、「有機的な線」といって間違いはない。

 

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私は、その線の原型には、日本的な美、特に埴輪や銅鐸などあると感じていたが、このレクチャーでは、それを明確に裏づけてくれた。こんな説明をしてくれた。「私は、なぜか、発掘された埴輪、銅鐸、銅剣、土器などにとても関心がある」と。実際に資料や文献を集め、ある時は、上野の東京国立博物館では、古代の造形物の前で、長時間も対峙したという。悠久な時間が造形した「複雑で微妙な変化が美しい」と感じるという。また素朴な肌合いや、単純だがとても強い磁力を帯びた形が、自分に語りかけ、それが自分の「視覚的な造形感性」というアンテナに触れてくるという。つね日頃から、創造力の源泉とはどんなものか、そしてそれがいかに発露してくるかについて、関心を抱いている私にとっては、この話は、とても興味深かった。

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 さて、今回のもう1つのテーマである「古事記」の仕事について、まとめておきたい。中谷本人は、「なぜ古事記といわれると、困ってしまう」という。ただ子供の頃から、因幡の白兎、ヤマタの大蛇などの神話劇に関心を抱いていたので、そんなに特別なことではなかったともいえるのかもしれない。また中谷自身の、考古学的な関心、特に土の中から発掘した「古いもの」に関心があったことも、その一因かもしれない。中谷の代表作の1つである、初期作品「鳥の碑」も、「埋葬された古代人に代わって、鳥にその任を果たしてもらった」ともいう。

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さらに歴史回廊をこえて迫ってくる「古事記」への関心の背後には、様々な人間のドラマ、生命のいとなみ(エロス的なこともふくめて)に関する独自な感慨があるようだ。それを一言でいえば、自分の健康に自信がなかったため、青年期よりかなり深く死を意識していたことが、反映しているといえる。深く共感するものがあった。さらに「古事記」は、単なる神々のドラマではなく、生と死、愛とエロス、信頼と裏切りに満ちた、なまなましい人間臭いドラマに満ちているからであろう。

 

 一方で中谷は、現代の、時事的なテーマも作品化している。「コソボ紛争」「9.11」など、かなりの数となる。民族や宗教の対立。人間の欲望、猜疑心、闘争心、独善性や排他性。それらを独自な視点で見つめて、図像化している。

 

私は、長く中谷作品と出合い、時々、批評文を書かせてもらっているが、いつも感心させられるのは、その尽きぬ創造への意思の強さである。いまも身体上の不安を抱えつつも、前を向きながら、新規なテーマに挑んでいく勇姿には、言葉はいらない。優れた創造者たる者だけが、もちえる深い内面性も感じている。まさに全作品は、自らの生の風景と等価であり、大きな「碑」への刻印であるとでもいいたげである。

最後に中谷は、参加者全員に作品を2点プレゼントしてくれた。思いがけないプレゼントに、みんな大感謝であった。また、このレクチャーは、2012年度第1回「北の聲アート賞」(きのとや賞)の受賞記念レクチャーでもあったことを記しておきたい。

(文責・柴橋伴夫)

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