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2013年3月

2013年3月12日 (火)

「現代短歌の世界」

サッポロアート・ラボ 第31

 「現代短歌の世界」  -開催日 2013125日(金)-

講師

田中 綾(短歌評論家)

1970年札幌生まれ。短歌評論家。近年の研究はGHQ検閲と短歌について、学生にはメンタルケアとしての短歌創作を講じている。単著に『権力と抒情詩』、共著『〈殺し〉の短歌史』など北海道新聞社でコラム「書棚から短歌を」(日曜日)も連載中。

■北海学園大学准教授

■会場 ト・オン・カフェ

■受講者30

現象の底から視線を築く評論家

 

 初めて文学論(短歌論)の登場だった。会場には、北大短歌会の若きメンバーも参加してくれた。冒頭に映像を見せてくれた。福島泰樹の短歌絶叫コンサートの一部だった。これが田中綾にとって、衝撃的出逢いとなったという。まちがいなく、短歌の「魔力」にキャッチされたのであろう。続いて、自己紹介を兼ねながら、短歌への歩みを紹介してくれた。北大卒業記念に創作した短歌連作で、早稲田大学文学賞で佳作賞を受けた。その後、札幌で評論家菱川善夫と出会い、いつしか短歌評論の世界へ導かれた。また1995年には、第13回現代短歌評論賞(短歌研究社)をうけている。

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さて、短歌評論を手がけてすでに20年程の時間がたったという。ただこの20年間で、時代の変化もあり、自らの「短歌観」「批評軸」も大きく変化してきた。それは一言でいえば、「熱い情念」「短歌の思想性」という批評軸から、「生活者」「日常性」へと軸が移行した、といえるかもしれない。時代の変化と短歌の変化。その実例として、俵万智『サラダ記念日』(1987年)と、永井祐『日本の中でたのしく暮らす』(2012年)から、数編をとりあげて、同じくさりげない日常の風景を主題にしながら、読み手の内部に大きな差異が生じていることを実証的に論じてくれた。

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さらにこのレクチャーでは、現在、田中自身が批評・研究対象にしている「生活感」に根ざした<まなざし>としての短歌について、それがどんなものか、なぜこうした短歌が生まれてきたか説明してくれた。田中は、こう語ってくれた。短歌は、「日本語使用者の心のセーフティネット」の機能を帯びていると…。これまで短歌は、辞世の心、花鳥風月、恋心、情念などを盛る「器」となっていた。田中は、それとは異なる短歌観が自分の内部に生まれてきたという。

あたらしい短歌作品を読むために、社会学的な、心理学的な分析方法を持ち込んでいる。

実際に、「新聞歌壇」への投稿作品、若者が登場する小説世界、さらには、厚生省の若者雇用実態調査、大学生意識調査などを「原資料」にして、若者の心の実景を浮上させている。この方向がとても斬新と感じた。

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ここで田中は、さらに新規な分析概念を使って批評をしていた。それは、「プレカリアート」というもの。

「不安定な」(プレカリオ)と「労働者」(プロレタリアート)を結合させたもの。たしかに、日本の労働現況には、多くの非正規労働者がいる。女性は、経済的基盤がないため、「産む」「育てる」ことに不安を感じている。田中は、そうした外側的なことだけでなく、内側から、つまり生活者の立場で、そのライフスタイルの激変が、どのように「短歌」にも翳を落としているか、探している。

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さらに「社会全体の感情労働化」という現象が顕著だという。「感情労働化」を強いられているのが、サービス業に従事する人達、そして低賃金、不安的な身分で労働する若者達でもある。

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そんな社会的現象が、いかに私たちの意識、特に言語感覚(言語表現、私表現)に作用しているか読解している。こんな短歌を紹介してくれた。「自分にも夢や希望はあるけれどとりあえず今日も右へ倣う」。こういう感覚は、あまり短歌的ではないと評価が与えらなかったかもしれない。ただこの短歌は、混じりけのない内心表現である。これを心の「縮景化」といって済ませるわけにはいかないようだ。田中の批評軸には、そんな若者の感情表現によりそう優しさがあると感じた。それは「視線」の優しさであるだけでなく、短歌を詠むことで、自分の在り処を捜している人間への共感に裏打ちされていると、私は感じた。

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最後に、田中から、北大短歌会メンバー紹介があり、代表して歌人山田航から短歌によせる熱い想いを語ってもらった。(文責・柴橋伴夫)

 

 

 

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