« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2012年8月

2012年8月 2日 (木)

「ハルカヤマ芸術要塞プロジェクト」

「ハルカヤマ芸術要塞プロジェクト」 -開催日 2012年6月29日(金)-

講師

渡辺 行夫(彫刻家)

1950年紋別生まれ。彫刻家。昨年札幌市の教職を退職。第6回ヘンリー・ムーア大賞展箱根彫刻の森美術館賞。第6回本郷新賞受賞。石の彫刻国際シンポジュウム2回、各地にモニュメント多数設置。昨年ハルカヤマ芸術要塞主宰。

■会場 ト・オン・カフェ  札幌市中央区南9条西3丁目2-1マジソンハイツ1F

■受講者25

 


 

自然体から、自由な精神を謳歌したハルカヤマ藝術要塞

 

今回の講師は、紋別生まれの彫刻家渡辺行夫(1950年生まれ)。これまでの彫刻の仕事に触れながら、2011年に開催されたハルカヤマ藝術要塞(要塞とは、「アートの拠点」の意味)をメインに語ってくれた

Watanabe01

 

                           

 

自らの性格について、父の転勤でよく転校したことも基因して、「人とつきあう」ことが得意ではなかったという。黙々と単独で仕事をする彫刻は、その意味で彼には、しっくりと馴染んだのかもしれない。金沢美術工芸大学彫刻科を卒業後も、同校大学院石彫教室で学ぶ中で、次第に彫刻の魅力にのめりこんだ。転機となったのは、1975年にメキシコで半年間、遺跡めぐり(石の彫刻・遺跡・建築)をして大いに感動したこと。そこでの体験が、自分の作品づくりに影響を与えたという。はじめにダイジェクト風に、代表作「風待ち」(洞爺湖)「四角い波」(紋別)などをスライドで見せてくれた。

 

さて3ケ月間で、約8000人が来場し、マスコミなどでも大きな話題となった「ハルカヤマ藝術要塞」であるが、そもそもどのようにして、このアートプロジュクトは、立ち上がったのであろうか。どのように会場となった春香山と繋がったのであろうか。かつてここにホテルが営業し、一時賑わいをみせていた。30年前にホテルは閉鎖し、その後は山全体が廃れていった。渡辺は、この場に興味を抱き、地権者(所有者)といろいろと話しをするなかで、アート的空間として使うことを認めてくれた。少しずつ作品も設置した。交流も発展し、地元の人たちと花見をし、本郷新の旧アトリエの掃除もした。それを「ハルカヤマ復活プロジェクト」と呼んでいる。しぜんと熱が入り、渡辺は高価な建築重機ユンボも購入し、整地に務めた。結果的に、そこにアート作品を設置する約8800坪の空間が出来上がった。

Watanabe02

 

                           

 

このように、この展覧会は、渡辺個人の、地権者や住民との「交流」「協力」が下地となってできたわけだ。この「脱美術館」のとりくみ。この自由で、個性を競った作品。自然のド真ん中で、36人の美術家は、展示する空間をみずから選択し、野外展示を考慮しながら素材を選び、コンセプトを練りあげながら作品づくりにチャレンジした。私も実見したが、全体として個々の作品は、アースワーク的傾向が濃いものが多かった。作品が、みんな独創的で光を放っていた。雨の日は、ぬかるんだ山道を歩いた。そんな悪条件や不便さが、不思議と魅力となった。ややワイルドな北海道的なアートの祭りとなった。

Watanabe03

                           

 

 

 

これから札幌でかなりの経費をかけて国際展が開催予定というが、こうした無償の、個人的な発想から立ち上がったアートイベント計画が発火点となって、大きな輪ができたことは特筆していい。やはりアーティストの「高い発熱」がなければ、展覧会は「絵にかいた餅」となると感じた。まさに美術家も来場者も共に、アートで「山を遊ぶ」という「出来事づくり」の創造者(形成者)となったわけである。レクチャーの最後に、事務局を担当した阿地信美智、復活プロジェクトのスタッフ萩原さん、参加美術家の楢原武正から短く思い出などを語ってもらった。

Watanabe06

  これからの計画は、未定という。「楽しめそうだ」と気持ちが動いたら、「実行」へと踏み出すという。それをあせらずゆっくりと、待ちたいと思う。

(文責・柴橋伴夫)

Watanabe04

ハルカヤマ芸術要塞2011 プラン展示

 

Watanabe05

 ハルカヤマ芸術要塞 渡辺行夫 木漏れ紅 2011

Watanabe07
ハルカヤマ芸術要塞2011 ダム・ダン・ライ作品

 





« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »