« 2012年1月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年7月

2012年7月27日 (金)

「イズムの考察」

「イズムの考察」 -開催日 2012427日(金)-

講師

中村 一典(美術評論) 

1978年高松生まれ。立命館大学経済学部卒業。在学中はコミュニティとビジネスの関係を研究。卒業後札幌市内のギャラリー勤務を経て、ギャラリーを併設したト・オン・カフェを2008年に開業。アートでコミュニティを作ることを目指し、そこでの可能性を模索している

会場 ト・オン・カフェ  札幌市中央区南9条西3丁目2-1マジソンハイツ1F 

■受講者20

「アナーキズム」と「創造的芸術」の深い関係

 

 

「イズムの考察」という演題だったので、聴く側もやや漠然とした感慨を抱いて参加したかもしれない。結果として、このイズムは「アナーキズム」のことだった。日本では、多くの場合、この思想を、国家権威の存在を否定する過激な政治思想(無政府主義)として理解している。

 

まず中村一典は、問題の所在を明示するために、まず原義から解き明かした。権力「arche」が「ないan-」という意味のギリシャ語の単語(アナルコス)に由来する。古くは、ゼノンらのストア派思想家達も、この言葉を政治権力の「縮小」として使用していたという。そして総体として、「政府を持たない、あるいは政府の権力を最少にする」思想として分析し、さらに権力(統制)から自立する芸術表現そのものを、アナーキズムと重ね合わせてみている。

Kazunori01

次にアナーキズム思想家の群像を、人物像と言説に重心を置いて紹介した。ウィリアム・ゴドウィン(英)、プルードン(仏)、バクーニン(露)、クロポトキン(露)などである。ここでは紙幅の関係で、その人物像と言説について、全てを紹介することはできないので、私の興味に引き寄せつつ、19世紀後半から20世紀前半にかけての動向に着目しながら、2、3のことを記しておきたい。画家クールベと、プルードンの関係である。クールベは、プルードンの思想から、「自由な個人のつながりによる連合体」を読み取っているように、かなり熱い関係を結んでいる。芸術表現の観点で見た場合、バクーニンの思想は、実に示唆に富んでいる。あらゆる「国家は、単なる機構である」と断言した。さらに、科学の支配に対する「生命の反逆」としての芸術を雄雄しく提起している。中村は、この「生命の反逆」という視点には、身体表現の1つである「ハプニング」に繋がる、そんな「行為の発芽」が存するという。中村は、クロポキンは、「相互扶助的システム」に可能性を託し、それを社会的理念にまで高めたと分析する。さらにクロポトキンは、中世の芸術を高く評価していることに留意し、そこに「都市とアート」という現代的なテーマが含まれていると見ている。

Kazunori02

この様に、中村は、夫々のアナーキストの思想家を俯瞰しながら、現代に繋がる「共通コード」を引き出した。それは一言でいえば、アナーキズムの美学(芸術論)というもの。それはどんなものであろうか。なにより国家、官僚、特権者により上から付与された芸術ではなく、それとは対極にある、個人の自主性に基づいた「創造的芸術」を築くことという。

Kazunori03

 次に同時代の芸術家への影響度を測定した。当時のアーティスト達は、かなり濃密にアナーキストの思想から、大きな示唆と共感を受容していた。3つの流れを指摘する。印象派(ピサロ)や新印象派(シニャック)、ベルギー象徴派(クノップフ)、ナビ派(ヴァロットン)への影響である。

私が意外と思ったのが、シニャックの存在である。単なる光と造形の探求者ではなかった。シニャックの作品に「調和」(1894―95年、パリ)がある。美術評論家千足伸行は、この作品について、一見南仏のリゾート地に見えるが、「実は“現代”が再構築された理想社会、アナーキズム的な視点から現代を超えて再構築された楽園的な未来図である」と分析しているほどだ。

Kazunori05

さて私が個人的に興味を抱いたのが、印象派のピサロが、アナーキズムに接近していたことだ。講義でも触れていたが、ピサロの生き様が興味深い。社会主義の運動に参画し、一時は過激な行動に走っている。私の手元にある『ピサロ展』(1984年、東京伊勢丹美術館)の図録があるが、リチャード・R・プレッテル(シカゴ・アート・インスティテュート)はこう論じている。「フランスにおける19世紀後半のすべての大芸術家たちのうちでもピサロが社会的政治的な理論に最も心動かされた人物」であり、実際に1865年にプルードンの『芸術の原理とその社会的使命』を読み、その影響を多大にうけ、そこから「最も優れた作品」が誕生したという。「人間味ある風景」「平明な美の創造」には、それが反映しているという。ただこの論者は、あまりレッテル貼りをしてはいけないという。ピサロは、「全人類を統合する真の調和原理を求めて通常の世界に眼をむけた、ユートピア的レアリスト」であると結んでいる。

Kazunori04

 私は、レクチャーを聴きながら、中村は、なぜ「アナーキズム」に関心を抱いているのか、そしていったい何をこの「アナーキズム」から読み取ろうとしているか考えてみた。こんな結論を得た。中村は、まちがいなく新しい「アナーキズム」の「読み直し」を行ない、そこから美学的な価値や肯定的な部分をより積極的に拾い上げようとしている。そして最終的には、この思想の根源に流れている「個人の自主的結合による理想的な社会」づくりを目指しているようだ。考えてみれば、札幌の地に「ト・オン・カフェ」をオープンして、画廊とカフェを結合させ、相互交流する場を築いているのは、まさに「個人の自主的結合による理想的な社会」の実践ともいえる。中村の歩みは、まだ高次の目標へ向けての途上かもしれないが、ぜひともその試行を着実にしてほしいものである。(文責・柴橋伴夫)

2012年7月17日 (火)

「ヨーロッパ演劇による群衆演出の展開」

「ヨーロッパ演劇による群衆演出の展開」 

開催日 2012525日(金)

講師

杉浦 康則(近代ドイツ演劇論)

1977年静岡生まれ。20123月・北海道大学文学研究科(西洋文学専攻)博士課程修了。ミュンヒェン大学留学後、近代ヨーロッパ演劇史を専門領域とする。室蘭工業大学非常勤講師。

会場  ト・オン・カフェ  札幌市中央区南9条西3丁目2-1マジソンハイツ1F 

受講者20

[ヨーロッパ演劇と「群集演出」の親しい関係を学んだ]

 

「サラ」としては、初めての演劇論のレクチャーとなった。タイトルは、「ヨーロッパ演劇における群集演出の展開」。やや専門的な表題となったが、レクチャーそのものは、杉浦康則が追求しているテーマを、丁寧に資料などを提示しながら広げてくれた。

 Sugiura01

では演劇において「群集演出」とは、いかなる意味があり、いかなる効果をもたらしてくれるのであろうか。いうまでもなく、何時の世でも、演劇は、「演者」と「観客」との関係において成立する。通常、「演者」は、能動的立場に、「観客」は、受動的立場に限定(固定)されている。

「群集演出」では、この関係を、揺り動かしつつ、エキストラやある場合には「観客」を用いて、「舞台行為の作用」に引き込んでいくことを企図する。杉浦は、この「群集演出」の起点と発展に着眼している。基点に、演劇界の「皇帝」と呼ばれたマックス・ラインハルト(ユダヤ系オーストリア人の演出家)がいる。少しラインハルトについて、私なりに紹介しておきたい。

 Sugiura02

俳優から転じて、演出家として「どん底」「真夏の夜の夢」「ヴェニスの商人」「ファウスト-第1部」などを手がけた。さらに「廻り舞台」「照明」「音楽」などを積極的に活用し、また劇場造りや演劇祭にも関与。1917年には、ザルツブルクで音楽祭の実施を構想。祝祭劇場協会を発足させ、ラインハルトはホーフマンスタールの演劇「イェーダーマン」を演出。かなり前になるがザルツブルクを訪れた時、この「イェーダーマン」上演が、現在のザルツブルク音楽祭の始まりであることを知らされていた。ラインハルトが深く関係していたことに改めて驚かされた。

 Sugiura03

さてラインハルトは、「舞台」と「観客」を結合させた。その例を挙げてくれた。宗教的劇「奇跡」(1911年、ロンドンで上演)がそれ。なんと2000人がエキストラとして参加。「観客」は、壮大なドラマに包み込まれた。

 Sugiura04

さらに同時代の演出家や、それ以前の演出家の仕事にも目を配っている。マイニンゲン一座やチャールズ・キーンらがいるという。また「群集演出」の系譜に、映画や回り舞台、構成舞台等を導入しながら、「政治演劇」を主唱したエルヴィン・ピスカートルや、ロシアで「群集演出」を実践したプラトン・ケルジェンツェフらがいるという。彼らは、演劇の政治化の道を歩んだようだ。杉浦は、その中で特にラインハルトの先見性と、その演劇論に関心と共感を抱いているようだ。これはラインハルトの言葉。演劇の目的は、「観客」を「陰鬱な日々の惨めさ」から解放し、「朗らかで澄んだ美の空間」へ連れ出す「劇場」であると洞察した。なかなか含蓄のある言葉であり、ある意味、演劇の本質を突いている。

Sugiura05


 レクチャーの最後半部で、日本でも「三文オペラ」「肝っ玉母さんと子供達」などの作品で、馴染みのあるベルトルト・ブレヒト(劇作家、詩人、演出家)の「群集演出」にも言及してくれた。ブレヒトは、「叙事的演劇」を提起し、「異化」作用を演劇論の根底においた。ただ時間が不足していた。

Sugiura06

そのため「教育劇」と「ラジオ論」に残りの時間を割いてくれた。ブレヒトは、現代への地平にこの理論を置換しつつ、とても斬新な視座を構築した。1929年にバーデン・バーデンで上演された「教育劇」では、あるフランスのパイロットの墜落を題材にしながら、「技術的進歩」は人間味ある社会の実現にはつながらないことが示された。そしてその上で、観客には自らこのパイロットへの態度を決定することが求められた。またブレヒトの「ラジオ論」では、新規な情報媒体たるラジオにおいて、「聴く側」が発信者へと高められなくてはならなかった。

Sugiura07_3

こうして「群集演出」は、単に演劇理論にとどまることなく、時代の動向に対応しながら、参加型の文化創造を担っていくことになる。個人的には、政治的集会などで群集の心理操作を巧みに行なったナチス政治との関係や、現代演劇において群集演劇がいかに展開されているかなど、レンジを広げて考察してみてほしかった。ただレクチャー参加者からも「参加型の演劇を目指す舞台装置と日本の演劇空間の花道との関係性」「ブレヒトと築地小劇場とのつながり」について熱心な質問があり、盛り上がった。

 Sugiura08_2


(文責・柴橋伴夫)

 

« 2012年1月 | トップページ | 2012年8月 »