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2012年1月

2012年1月 9日 (月)

「ドイツ表現主義の諸相」

「ドイツ表現主義の諸相」-開催日 20111128日(金)-

講師

阿部 和夫(ドイツ文学)

1967年増毛生まれ。北海道大学文学研究科(西洋文学専攻)博士課程単位取得退学。ミュンヒェン大学留学後、現在酪農学園大学、北海道医療大学非常勤講師。ドイツ文学史、近現代ドイツ文学を専門領域とする

■会場 ト・オン・カフェ  札幌市中央区南9条西3丁目2-1マジソンハイツ1F 

■受講者35


ドイツ表現主義の相貌に新しい光を注いだ。

レクチャーのタイトルは、「1910年代ドイツにおける表現主義運動」だった。阿部和夫は自らのドイツ留学(1997―98年)の体験や見聞を披露してくれながら、「ドイツ表現主義的なもの」との出会いに踏まえつつ、新しい資料・文献などを読解しながら、1910年代のドイツにおける表現主義運動の諸相を考察してくれた。運動の基点となっている「橋」や「青騎士」のグループは、フランスの野獣派の概念を移植し、それを発展させたものという。こう断言している。表現主義という名辞は、批評家・画商らが新芸術の宣言のために、印象派に対峙して創生したという。

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さて阿部は、留学中にミュンヘン市内にある幾つかの美術館に足を運んだ。市立ギャラリー「レンバッハハウス」や「ノイエ・ピナコテーク」であった。両方の美術館で、「青騎士」(デア・ブラウエ・ライタア)の作品群と出会った。展示されていた作品群を鑑賞して、阿部は、ある種の「違和」を感じていたという。「違和」とは、同時代にオーストリアで開花していた、ウィーン世紀末(G・クリムトらの分離派)との差異性であった。たしかにドイツ表現主義にも、ウィーン世紀末と同質な「物質文明への批判」精神や「生命への賛歌」、あるいは「退廃感」が脈動しているが、ただそれとは異質なものを見出していた。

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ではその「差異性」とはなんであろうか。なぜ「差異」が生じていたのであろうか。阿部は、そのことをこのように考察する。「青騎士」やその次に続く「橋」などのグループらのドイツ表現主義の画家には、世紀末の画家達が描いた空間に漂っていた「エロス」「血生臭さ」「退廃感」とは違う、ある意味で能動的な「前向きなエネルギー」が基因していると。阿部は、それがどういうものであるかを、より実証的に分析してくれた。ドイツ文学研究者たる阿部は、主要な原典を抑えつつ、卓越した造形運動を展開したこの運動の革新性の背後には、ドイツの後進的政治状況が複雑に絡らんだいたとみる。植民地獲得や戦争への加担を肯定する「血の匂い」さえ嗅ぎ取っている。阿部は、ノミの市で入手した1911年発行の古いジャーナル誌「Simplicissimus」(シンプリチシムス)を紹介してくれた。女神(ゲルマニア)が、聖職者、騎士に凌辱されているという、寓意性の強い図が描かれていた。この図像は、女神(ゲルマニア)が悲劇的凌辱を受け、危機的な状況が市民もひしひしと感じていることを象徴化している。まさにそんな危機的閉塞状況を突破しなければならないという状況の中で、表現主義の画家達は、まさに生きて、描いていたわけだ。

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さらに阿部は、詩人ゲオルク・ハイムの日記(1911年)や文学者トーマス・マンの戦争擁護論(1914年)などを腑分けしながら、そこに脈動する「革命・戦争を待望する風潮」「ナショナリズムを賛美の声」も聞き取っている。トーマス・マンは、なんと戦争に「浄化」「解放」「希望」を仮託し、戦場で亡くなった画家マルクは、戦場で綴った『戦争という煉獄の炎の中で』(1915年、『嵐』掲載は1916年)において、「よきものだけが残るのだ、中身が深く、真実なるものだけが。それらは戦争の煉獄の炎によって清められ、照らされつつ進むのである。」と記しているほどだ。

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このように阿部は、レクチャー全体を通じて、「表現主義とは何か」と問いつつ、レンジを広げて、同時代の文化現象・運動と対比しながら、それがドイツ的な特異な状況が深く絡んでいることを開示してくれた。とすれば私たちは、表現主義を、「青騎士」「橋」などの運動などを、内心の表出に伴う色や形による視覚的な革命、さらにカンディンスキーにつながる抽象芸術への橋渡し的存在という風に、一面的な視座で捉えていたのかもしれない。これらの運動は、確かに物質文明の謳歌により、藝術において喪失した人間性の回復や「精神的なもの」を取り戻そうとする側面もあるが、忘れてならないのはそこにナショナリズムや戦争を賛美する時代の声と「硝煙まじりの血の匂い」がすることだ。

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最後に阿部は、ドイツ表現主義の中に、「ドイツ的なもの」「ゲルマン的なもの」が潜在化しているという。個人的には、この視点をもう少しの展開してほしかった。阿部の言葉を借りていえば、そこにはドイツ的の祖先たる古代ゲルマン人が信仰していた多神教の世界とどこかで繋がってもいるという。(柴橋)

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