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2011年1月

2011年1月12日 (水)

「ジュジョールとガウディ」         -開催日 20101126日(金)-

講師

木下 泰男(建築家)

1961年阿寒生まれ。建築意匠・地域建築・都市福祉環境研究、建築家。スペインで建築家ジュジョールの調査研究。現在アトリエを主宰し、北方圏学術情報センター研究員、NOP旧小熊邸倶楽部、北海道スペイン協会、北海道デザイン協議会などの理事。「日本建築学会設計競技」1+島本賞受賞(1996)、「生命」の建築」展(横浜)出展(2002)など。


「生命の建築家」ジュジョールの魅力

「サラ」メンバーの木下泰男が、「ジュジョールとガウディ」と題してレクチャーをした。日本では、ますます孤高の建築家ガウディへの関心は倍化するばかりであるが、27歳下の同時代人ジュジョールに関しては、その名を知らない人もおおいのが事実。こんな風にいわれていた、「早すぎた建築家」「俗物建築家」などと。

かなり早い時期に、木下は、日本でジュジョール研究を開始した。それが本格的に開始するのが22年前のこと。1989年から数年間スペインに渡って、この2人の主要建築を調査。帰国後も研究を継続し、論文を書き、また2002年には横浜の赤レンガで開催された「生命の建築:ガウディとジュジョール」展に招聘されている。

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最初に「ガウディとジュジョール」の人と作品の紹介。2人の出会いと協力。また二人の建築実測調査により湧き上がった関心・興味など。次に「ガウディの中のジュジョール」。いかにガウディ作品にジュジョールのデザインが絡んでいるかを説明してくれた。たとえばよく知られている「グエル公園」のベンチタイル。破砕タイルや瓶などが集合、つまりブリコラージュは、ジュジョールの手によるもの。次に「ジュジョールの教会や住宅の修復(レフォーマー)の創造性」について。古い民家「黒い家」(カーサ・ネグレ)や小さな「メトロポール劇場」などが紹介された。実は、木下は触れていなかったが、ジュジョールの作品は、多くの資本家が住んだ大都会バルセロナではなく、サン・ジュアン・デスピというとても小さな町に多く残っている。だから日本人が実見することが難しいわけだ。そんな民衆と共に歩んだ人だ。

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最後に一番肝心な「ジュジョールのオリジナル建築」について。これがやはり一番興味深かった。その理由は、ジュジョールには、ガウディ同様、自然賛美の声が強かったこと。海の波、ブドウ、麦の穂などが図像に組み込まれている。また「ハレルヤ」や「ラテン語」などの文字が建築に記されていること。また鉄などを柔らかく使う手法なども似ている。ただ後半になると独自性が濃くなるようだ。木下は「広場のロータリー」意匠には、幾何学抽象性と象徴性が生起しているという。もっと大きな「見えない空間」が内包されているという。

もちろんまたガウディやジュジョールを真に理解するためには、彼等の精神の根源に流れる強烈な宗教性も忘れてならないようだ。また少し意外な感があったのが、モンファリの「モンセラット教会」だった。これは木下が調査した建築の1つ。私は、彼の実測図をみていて、ある程度完成状態をイメージしていたが、完成写真をみせられてやや興ざめした。急ぎ過ぎたのではないだろうか。何か最も大切なオリジナルなもの、ジュジョールが意匠にこめた魂みたいなものが、そこに現存しているとは残念ながら思えなかった。

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また改めて私は、ジュジョールの仕事を見つめ直して、その神秘的な生命主義には、エロス肯定の芽が植えられているように思えてならなかった。今回もスライドで少し紹介されていた「サグラット・コル教会」。その御神体のマリアは、女性の「象徴」そのものであった。そこからキリストが誕生する、そんな隠された意味がある。土俗性が孕んだ聖性。それは翻ってみるとき、日本の神道の大らかな性崇拝に近接するものがあると感じた。

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最後にひとこと。今後も、レンガを積み上げるようにして、木下には、ジュジョール建築・意匠を自分の足で調べて、その魅力を紹介してほしいものだ。それは単にスペイン文化を啓蒙することに留まらずに、ジュジョールの生命的な空間や「色彩の魔術」などは、そのまま私たちの建築の課題でもあり、機能性や合理性優先の建築美学におおきなるアンチテーゼをはっきりと提示するからだ。(柴橋)

2011年1月 7日 (金)

「カタルーニャの空の下で彫刻家修行」

SAPPORO ART LABO 2010 サッポロアート・ラボ

「カタルーニャの空の下で彫刻家修業」     -開催日 20101029日(金)-

講師

北村 哲朗(彫刻家)

1956年登別生まれ。彫刻家。道展会友。北海道教育大学を卒業後、29年間教職に就く2001年に小畠工房(埼玉)で鉄の加工技術を習得。2008年に退職し、9ヶ月スペイン・バルセロナ郊外にあるガリーファ村で彫刻修行。2010年時計台ギャラリーで個展を開催。

■会場 ト・オン・カフェ  札幌市中央区南9条西3丁目2-1マジソンハイツ1F 

受講者20


自分の魂(アニマ)を発見したカタルーニャの地

彫刻家の北村哲郎さんに来てもらった。生まれは登別の山奥という。そこで無垢な自然に育まれて、豊かな感性を養ったようだ。北村さんは、冒頭に、「創造の喜びは、生きる喜び」「彫刻は自分を含めた世界をよく知るための方法」と述べてくれた。

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まさに、「世界をよく知る」ために、一念発起して勤めていた教職を早期退職し、「異国で単独者として、自分を見つめてみたい。」と、2008年にスペイン・バルセロナ郊外にあるガリーフャ村(人口120人の小村)で研修を深めた。カタルーニャの空の下で、「道具の大切さ」「発想から制作すること」「自然から感応したものを動機に制作する」ことなどを学んだという。さらにいえば、かの地で自分を遥かに超えた、「自然、時間、歴史、文化」などを肌で感じることで、大きな恵沢を受けたようだ。アルティガス財団に世話になった。主宰するジョアン・ガルディ・アルティガス(陶芸家、彫刻家)さんは、ジョアン・ミロの共同制作者でもあった。アルティガスさんの奥様は、日本人のマコさん。そんなことでいろんなことで世話になったという。9ケ月の滞在だったという。なにより原生の自然が迎えてくれた。蛙が鳴き、雉や山鳩が飛んできた。また桜の木もみた。時には、天を揺るがす雷も体験した。全てのものが新鮮に感じ、樹を素材にして、見たものを作品に形象化した。

世界中から研修にきている多くの仲間とも知人となった。実際に仲間の仕事をみて、共に制作しているという「協同」意識を共有したという。今も、彼等と離れていても、「彼等も頑張って、作品を作っていると」と感じるという。その報告を含めた、作品展示を2010年夏に時計台ギャラリーで行い、それを私が見聞し、作品の魅力に心をゆり動かされた。そこで、「ぜひこのSALAでレクチャーを」と願ったわけです。全体の講演内容を、原稿にしていて、それに従って丁寧にこの「アート・イン・レジデンス」体験の内容と、そこで獲得した自分の彫刻論を提示してくれた。意識を高く掲げて、自分の研鑽のため、カタルーニャの地で飛び込んでいった。それを支えたのは、勇気と情熱だった。新しい自分を見つけるため、挑戦する。その決断に実にすがすがしいしいものを受けた。作品にも、それがいい意味で大きく反映してきたようだ。

最後の方で彫刻世界が、いかに世界と交差しているかを分類した視点が興味を引いた。普段なかなか何に向かって彫刻するのか、考えることが少ないものだ。北村は、この体験を通じて自分を客観化し、さらに表現の目的・本質を深く探り当てる絶好の機会となったようだ。たまたま今回、ノーベル化学賞を受けた根岸英一さんは、「日本の若者よ、海外へ行け!」と檄を飛ばしていたが、まさに若者に限らず、日本人はもっと自分を厳しく修練させるために、恐れることなく別な世界に飛び込むべきなのかもしれない。

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さて北村は、表現の目的・本質には、3つのベクトルがあるという。より広大な宇宙や自然を象徴する「マクロコスモス」、人間と世界たる「ミクロコスモス」、その両方と交差(クロス)する自己世界を示す「ミドルコスモス」。特に表現する主体となる自我(魂)とペルソナ(人格)が最も大切なものという。とすれば、北村は、自我を異国たるカタルーニャの地で、豊かな自然と人間と出会いながら、自身の魂とペルソナ(人格、人間性)を育成したといえる。当然にも彫刻作品にも、それが表出してきていた。スライドで写し出された作品変遷をみても、道展出品の初期では、人物や具象性を主体にしていたが、より抽象化への道を辿りながら、使用した素材も変化してきたようだ。素材では、人工的なFRP素材や鉄などから、カタルーニャで出会った樹へとダイナミックに変化した。2010年の道展に出品した新作「ANIMA」は、樹を生命力、樹の霊が造形へとせりあがってきていた。

最後に今後の制作計画を披露してくれた。今は外国には行けないが、生まれ故郷に近い伊達・大滝に長期間滞在し、新たな挑戦をしたいという。それを「彫刻行脚」と名づけていた。どんな造形形象が生まれるか期待したい。(文責・柴橋伴夫)

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