« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月

2010年6月 8日 (火)

「言葉とアートの狭間から」が生起させたもの

SAPPORO ART LABO 2010 サッポロアート・ラボ
「言葉とアートの狭間から」 -開催日 2010 年5 月28 日(金)-

■ 講師
★池田 緑(美術家)
1943 年朝鮮咸興生まれ。2001 年より2 度に渡り、NY で研修と作品制作。国内において、アートプログラム青梅、あおもり国際版画トリエンナーレ、大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ(2006 年)などに参加。また海外では、NY でも作品を発表。女性らしい視座で「生きることとアートの繋がり」をテーマにして現代と環境を見つめている。

「サラ」の5月のレクチャーに、美術家池田緑氏を、帯広から迎えた。この5、6月だけでも、こんな風に実に精力的である。北海道立体表現展(道立近代美術館・札幌彫刻美術館)に参加し、さらにギャラリー門馬アネックス(札幌)で、言葉を素材にした新作「6つのこと」「444の日」を発表している。この日は多忙なスケジュールの中、道立近代美術館での展示を終えてから、このレクチャーのために駆けつけてくれた。
池田緑は、用意したレジュメに基づき、スライドと映像を使って、「言葉とアートの狭間から」と題して語ってくれた。

Midori09
最初に自分がこれまでどのように言葉と向かいあいながら、そして作品の中に、言葉をいかに取り入れてきたかを語ってくれた。一時期油彩画のタイトルが「アリスの風景」「遁れてアリス」などだった。それらの作品は、言葉世界に触発されながら、私的な心象世界を映像化したややシュールな平面を構築していた。
私は個人的には、どうして池田が油絵の制作から、現代美術家へと歩みだしていったのか、とても気になっていた。そのわけが分かった。イギリスの現代美術家リチャード・ロングの仕事が大きな「触媒」となった。
自然の野や山を「歩行」しながら、それに要した時間や場空間などを作品の素材とするリチャード・ロングは、とても言葉を大切にしている。そうした彼の作品づくりが、彼女の次の飛躍台を築いたという。

Midori10

さらに大きな転機となったのが、2度にわたるNY研修だったようだ。「9.11同時多発テロ」と遭遇した。当時作品づくりの素材としていたマスクを用いながら、「Silent Breath(speak)」を発表した。それはNY市民に、マスクをかけて自分の内心を言葉にして発してもらうこと。今回は、映像でもそれを見せてくれたが、協力してくれた市民が心の底に沈殿している沈黙に近いものに耳を傾けながら、「想い」を言葉にしているのが、痛々しく感じた。まさに現代の悲劇を目撃した方々の切実なるモノローグにみえた。

Midori06

現在は、さらに新しい方法で言葉と向かい合っている。プラスチックテープを使って、自分が生きてきた時間や生活した空間を数字などで記録することを開始した。それが「My Own Specimen」「My Place OnErath」「6つのこと」である。
一方で、環境への関心もとても深い。大気汚染の現況を、白いマスクを新得町サホロの森や野外に長時間放置して、それを作品として提示する試行もした。さらにマスクと言葉を結びつけながら、「マスク・ツリー」の制作も実施している。
他には、2006年には、越後妻有アートトリエンナーレに参加し、家を人に例えながら、家の年齢プロジェクト」を発表した。この家は、88歳3ヶ月の年齢だった。家の主たる柳キノさんとの、約1ヶ月間にわたるコラボレーションだった。今回は、柳キノさんは、池田のアート作品に呼応するように、自分の記憶を語ってくれながら、さらに家に纏わる品々を蔵から出しては、池田の作品とのコラボをしてくれたという。
この様にレクチャーでは、「言葉の力」に触発されながら、現代に生きていることとはどういうことか、そして「今の時(とき)」を意識して表現することとはどんなことかを思索する中で、1つ1つ作品づくりをしてきたことを丁寧に語ってくれた。
レクチャーを聴いていて私は、現在取り組んでいる池田みどりの作品は、新しいコンセプチュアル・アート(概念芸術)といえるかもしれないと、感じた。というのも、池田は、多様化(それは分散化することでもある)する世界に眼を向けながら、「いのち」そのものが瀕
する悲劇的な状況に降り立ちながら、そこから人間同士が、国家や民族や言語の壁を越えて、アートを通じて共に対話し、そこから新しい路を見出していこうとしているからである。そんな女性的なしなやかな感性に裏づけられたコンセプチュアル・アートである。
これまでアート作品の素材(あるいは題材)にしてきたものは、ジーンズ、マスク、樹の枝、そして言葉である。さらに忘れてならないのは、人間存在を包んでくれる母の胎内のような「家」や、現代の都市などに住む人たちである。さらに付け加えるとすると、記憶もその中に入るかもしれない。
このように、そこには無機質なものは一切ない。全て有機的で、身体性や血の気配を帯びた、いのちそのもの。そんな身近な素材を使いながら、それぞれの人が「呼吸」してきた時間(歴史)や空間の個性を見極めながら、それをアート言語として高めているのだ。
最後に池田は、今後の制作の課題と方向性を提示してくれた。多くの人との出会い、さらに言葉との出会いを求めていきたいという。帯広での新規のプロジェクトも計画中という。さらに今年だけでも、音威子府や釧路芸術館でも個展が予定されているという。

Midori11

ますます池田緑の作品は多くの人に勇気と感動を与えてくれることを願っている。これからも刺激的なアート作品を期待したい。会場の「ト・オン・カフェ」の席は、ほぼ満席だった。みんな真剣に聞いていた。はやりいま「旬(しゅん)の美術家」池田緑に、レクチャーをお願いしてよかったと想った。最後に参加者からの幾つかの質問がなされ、とても充実した時間を過ごすことができた。(柴橋伴夫)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »