2019年10月24日 (木)

第94回「自己の感性と表現を探り60余年」

2019年5月31日(金)

■講師:坂口清一

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画業60年を振り返って

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第94回例会は、画家坂口精一にお願いした。タイトルは、「60年の画業を振り返って」だった。

少し耳の状態が悪いようだったが、<60年の歩み>について熱をいれて語ってくれた。

港町岩内で誕生した時は、一貫350匁の体重で誕生したという。かなりビッグだったようだ。今でもがっちりした体型だ。後年祖母から双子で出生すると思っていた事などを聞かされた、という。

はじめに生地岩内について紹介してくれた。むかしから漁師の街であり、かつては鰊で栄えた。岩内山がそそりたち、海も河もあり風光明媚なところだ。そんな恵まれた環境から、木田金次郎など多くの画家も輩出している。一時小樽派と対抗する位に岩内派と呼ばれる程に画家が道展などで活躍した。

坂口は、少年の頃の風景を大切にしている。特に日本海が造りだす光や音、街の中の匂いや人々の会話が、ドラマチツクな動画となるという。海と共に歩んだ日々を想いだし、こう表現していた。「凪の日を喜び 大時化の日は悲しみを」感じていたと。どういうことか。凪の日は、海難事故もなく安全だが、時化になると大きな事故が起こり、死者が出たりすると悲しみが街を覆うということのようだ。

また自宅前には造船場があり、船の進水の日はいつも航海の安全と豊漁を祈っていたともいう。またこんな体験もした。貝塚発掘の体験をしたが、そこから眼には見えない悠久の歴史の存在に気づかされた。さらにアイヌ文化の素晴らしを学ぶことができた。こうした体験からアイヌ文様などを活かした作品も制作した。 こんなこともあつた。23歳の頃に油絵具一式購入した。F20号の「港」を描いた。その絵はある画家に評を請うと、画面全体に加筆した。その横暴さには唖然としたという。

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この体験から、あることを確信した。指導者は「制作者の感性を理解し、表現に自信と喜びの道へと導くべき」だ。制作者は、「魂の奥底から湧き出る自身の感情を」を描くべきだと。その数日後9月26日に、町半分を焼き尽くした岩内大火に遭遇し、画材も描いた絵も消滅してしまった。

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 公募展にも出品した。道内では全道展に、道外では「自由美術家協会」(1937年創立)に出品し、昭和41年には会員に推挙された。

この画家は、これまで2度にわたって、「生命の光の体験」をしている。光、それはいのちのシンボルとなった。初日の出のサンピラに「いのち光」を感じた。また胃癌手術前日、カーテンの吊り金具部分をみていた。金具が冠に、カーテンが舞う装束にみえた。

坂口は、光を啓示と捉え、大胆な構図の中にそれを描いた。地から放射し、天を割いていった。このように独自な感性を生かして、絵画空間の中に生命の輝きを宿そうとしている。神秘的な光。それが絵画にエネルギーを付与した。これからも、生命の光が満ち溢れれる作品をみせてほしいものだ。(文責・柴橋)

2019年10月17日 (木)

第93回 「島田無響の人と作品を語る」

2019年4月26日(金)


○講 師=松永律子(まつながりつこ 書家・島田無響遺作展実行委員長) 

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多芸の人島田無響

   


第93回例会のタイトルは「島田無響の人と作品を語る」だった。 講師に書家松永律子をむかえた。彼女は、2018年 秋に大通美術館で「書家島田無響遺作展実行委員長」を務めていた。また会場には、無響さんの弟の書家一嶽も来ていただき、思い出も語ってもらった。

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レクチャーの構成と映像づくりに柴橋が協力した。島田は、多芸な人で、まさに多面な分野で活躍した方なので、できるだけ話をコンパクトに進めるため映像も整理した。一番最後に、大通美術館での遺作展に展示した作品を映像で紹介した。

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まず島田無響の歩みを紹介していただいた。東京では興亜火災に勤めつつ、書を津田翠岱に師事した。また滑川マツと結婚した。オシドリ夫婦だった。縁があり札幌に住まいを移し渡辺緑邦に師事し、創玄会や毎日書道展などに出品した。

島田はひときわ多面性を帯びた作家だった。きっぷのいい江戸っ子気質の持ち主で、いつも酒を愛しつつ、何をするにしても遊び心を忘れない方だった。書、歌舞伎、狂言、お茶、いけばな、俳句などジャンルを自在に横断した。

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いけばなは、勅使河原和風流に属して、いつも和の感覚を生かして、優れた作品を披露してくれた。さらに仲間と流派をこえた展覧会「5つの個展」や「風」を立ち上げ、いけばなの枠をこえた革新的な運動を推進してくれた。

いつも学びを続ける方だった。漢詩を深く愛する方で優れたエッセイを書いていた。

自らが主宰した「點の会」(1970年結成)の門下生を引き連れて、漢詩世界と書の現場たる中国への旅をのべ7回にわたって行った。山東省曲阜では書法交流を行い、また泰山では周恩来夫人の磨崖や雲崗石窟などを見聞した。

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さて島田の書世界はどうか。かいてかいてかきまくる方だった。また展示についても、つねに斬新な空間づくりをめざした。特に札幌・京王プラザホテルでの階段空間を活かした構成などは斬新で印象ふかいものだった。絵と文と書の絶妙なコラボレーションをみせてくれた。

またデザイン感覚も鋭く、カナダと道との交流展におけるポスターの意匠は、和の美を活かしたものだった。

このように島田無響は、あくなき探求心を内に秘めた方だった。ここからは少し、柴橋の見方をいれて語っておきたい。私からみて、誰でもない自分の表現を追いもとめていた芸術家だった。晩年には、病に苦しんだが、不自由な身体をのり超えて、筆に自己を託ししていた。創造力は決して衰えていなかった。

一方でユーモア精神にあふれ、冷静に物をみながら自己卑下の姿勢が強い方だった。私たちは、彼から何を学び、何を継承すべきであろうか。まず<和の美>を内に燃やす芸の心ではないか。そして常に自己を新しくつくりだしていくダイナミズムではないか。少しでもそれに近づけることができたら、と想うばかりだ。

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(文責・柴橋)

2019年10月14日 (月)

第92回「前衛音楽の仕掛け人」

2019年2月22日(金)

○講 師=沼山良明(NMA主宰コンサートオーガナイザー)

本業はヤマハ札幌店ピアノ調律師。70年代後半、ジャズ評論家・副島輝人氏との出会いなどで前衛音楽に関心を深め、1983年ドイツのメールス・ニュージャズ祭を観て、世界と日本の音楽情報のギャップに目覚めたことから、同年非営利のNMA(NOW MUSIC ARTS)を発足。国内外の先鋭的な音楽を札幌に紹介するコンサートを企画、開催し、時には道内各地にも紹介している。

これまでに180回を超えるコンサート(6回のフェスティバルを含む)を開催したほか、1995年から2000年には、即興演奏のワークショップを毎月開催。執筆・寄稿に『ジャズ批評』、『ユリイカ』誌ほか、毎日新聞北海道版『ハルニレ』(1997-2001)、北海道新聞夕刊コラム『されど音楽』(2015)など。コミュニティFMさっぽろ村ラジオで音楽番組を担当(2003-2006)。2012年より、ACF札幌芸術文化・フォーラムにて「ACFアートサロン」担当。2
013年、サッポロ・アートラボ主催「第2回北の聲アート賞特別賞」受賞。

 

第92回「前衛音楽の仕掛け人」

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第92回レクチャーを音楽マネジメント沼山良明にお願いした。沼山は、2013年度に「北の聲アート特別賞:日建社賞」を受賞している

タイトルは、「新しい音楽って?」だった。とても刺激的なレクチャーだった。かなり前から沼山の仕事については知っていたはずだったが、新しく分かったこともある。

彼は由仁町で生まれ、学びは岩見沢の農業高校で行った。その岩見沢の地でよく通ったのがジャズ・喫茶「志乃」だった。

音楽は好きだったが、ある時調律師をめざすことを決意した。本州で資格習得を目指した。無事資格を得て、それを生業にした。

ただそこで得たお金を、音楽プロジュースにつぎ込んだ。転機になったのが、ジャズ評論家副島輝人との出会いだった。それが縁で、前衛的な音楽に関心を抱いた。1983年には、ドイツのメールスジャズ祭を見聞し、先端の音楽に打ちのめされた。

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すぐにNMAを立ち上げ、欧米のニュージャズや前衛音楽の紹介に努めた。さらにダンス、朗読、インスタレーションなど、音楽を軸にして他の表現とコラボをめざした。その数は180回を超え、招いたアーティストはのべ230組以上にのぼるという。 

2017年に開催した札幌国際芸術祭ではエ グゼクティブアドバイザーを勤め、札幌市資料館では「NMAライブ・ビデオアーカイブ」をみせてくれた。

レクチャーでは、「NMAライブ・ビデオアーカイブ」から、その招聘した音楽を時間を有効活用して紹介してくれた。そのために使用した映像は、68分をこえた。あらためて聞きながらフリー系ジャズだけでなく、ノイズ音楽がかなり含まれていると感じた。

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このノイズ音楽とは、これまでの音楽的常識からは楽器と見なされないものを楽器や音源として使用し演奏するもの。現在はノイズ系の音楽という括りがありようにポピュラー音楽とも交差している。それほどまでに現代音楽シーンは拡大し、多様化しているようだ。

それにしても、よくこんなにも先端音楽を招聘したものだと思った。いつも人が集まるわけでもないので、かなりの資金を投入したと察した。誰もしなかったこと。それをたった1人で実行してきた。この先鋭的な音楽を紹介するという堅い意志。それには、頭が下がるばかりだ。

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では沼山は、何を目指しているのか。沼山には、この札幌をドイツのメールスにしたいという熱情があるようにみえたのだが……。


 人一倍今日の音楽状況への強い想いがあるようだ。既成のもの、すでに定番となっているもの。その古いゾーンからのがれて、いま一番先端で奮闘している音楽家に連帯すること。そのためにはまずその音を聞かねばならない。

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そしてその音を多くの他者に広めていかねばならない。そんな使命にもえているようだ。全て手弁当で押し広めている。このひたむきな無償の行為に、大きな拍手を送りたい。そして彼の仕事を引き継ぐ方がでてくることを強く期待したい。(文責・柴橋)

第91回 「和の音を紡みだす作曲家」

2019年1月25日(金)

○講 師=二宮毅(作曲家)

1972年愛知県生まれ。

笹川賞、名古屋文化振興賞入賞。第一回東アジア国際作曲コンクール第一位。札幌市、福岡市、韓国テグ市を拠点に、日本の古典文学や伝統芸術に宿る情緒性を反映した作品を多数発表する。作品は毎年アジア各地の現代音楽祭に招待される他、欧州各地でも上演、放送されている。北海道作曲家協会会長。福岡市国際作曲家会議代表。作曲集団KALEIDSM主宰。福岡教育大学教授。2015年ボルドー音楽院(仏)レジデンス作曲家。

「和の音を紡みだす作曲家」

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第91回例会は、作曲家二宮毅を迎えた。現在、福岡教育大学で教えている。札幌に家があり、忙しく双方間を往復している。そんな忙しい中、時間をとってくれてレクチャーを引き受けてくれた。  

タイトルは、「東アジアの音を編む」。副題は、<現代の音楽創作現場>。東アジアを意識した内容だった。それは福岡という場が影響しているようだ。韓国へは船でもいける。距離的には東京より近いという感覚だ。

二宮は、音楽の国際化を意識しながら、より日本的な音を探りつつ、アジアだけでなく欧州にも作品の発表の場を広げている。音には、国境はないといわれる。たしかにそうだ。ただ言葉でいうのは簡単だが、いざそれを実行することは容易ではない。様々な障害もある。

そうした状況でも、すすんで日本の外へ出ていこうとする姿勢には、共感するものがある。私が、今回レクチャーを依頼したのは、過去に彼の新作を聞いたことがあるが、そこには和的な音が息づき、それがより現代化されていたことが大きい。それがとても新鮮に感じた。

実際に韓国のテグ市などや台湾で作品を発表している。そこでの逸話を披露してくれた。韓国では文化支援が手厚いという。

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ただ主催団体同志の「はり合い」があり、その狭間で苦しむこともあるという。また台湾では現地の若手映像作家と「人造衛星墜落」という曲でコラボしたが、そこにもやや文化意識の差を感じている。

二宮は、これまで「南波照間」「風の塔」「氷華」など発表している。

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今回その一部を聞かせてくれたが、そこには、風や水の形象が漂っていた。心が揺れ、広がりのある音だった。繊細な中に、現代性の種子があった。

最近は、和製オペラにも挑んでいる。函館や札幌で上演している。その映像を見せてくれた。「土方歳三 最後の戦い 義に殉じた魂」だ。土方は、幕末期の幕臣、新選組副長である。蝦夷まで来たが、1869年に箱館五稜郭戦争の際、34歳で戦死した。

この「土方歳三 最後の戦い」は、原作・広瀬るみ、台本・塚田康弘、作曲・二宮らにより作られた。いわゆる幕末の志士達が主人公。土方の他に、榎本武楊、黒田清隆、大島圭介などが登場する。

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よくオペラは、総合芸術といわれる。見た感じでは、オペラというより音楽舞台劇という感じだった。語りが多く、そのためやや動きが少なく、また衣装や舞台美術などの構成に課題もあるように思えた。が道内を舞台にした、こうした新しい音楽劇が誕生することを歓迎したい。二宮にとっても、この仕事は大きな収穫となったようだ。

これからも進取の精神を燃やして、和の響きを海の外でも奏で、さらに新しいオペラなどを創りだしてほしいものだ。(文責・柴橋)

2019年1月24日 (木)

第90回「 私の彫刻観 」

2018年11月30日(金)

○講 師=伊藤隆弘(彫刻家)

札幌市生まれ。長沼町在住。主たる展覧会への出品。「北海道立体表現展」 (101、03、06、08、10 道立近代美術館)「Boryeong Obsidian Sculpture Project」(韓国 保寧市 10)「旭川彫刻フェスタ 2010 10周年記念展」(道 「立旭川美術館・旭川市彫刻美術館) ハルカヤマ藝術要塞(小樽春香山 111315 に出品)「抽象彫刻 30 人展―北の作家たち」(本郷新記念彫刻 「美術館 11)「帯広コンテンポラリーアート 2016 ヒト科ヒト属ヒト」。「なよ 「ろ国際雪像彫刻大会」(13~17)「中国哈爾浜市国際雪像大会」(15)「ホワイトホーススノースカルプチャーチャレンジ」(カナダ15)に参加。


彫刻の可能性を探して

 
第90回レクチャーは、彫刻家伊藤隆弘にお願いした。伊藤は、現在は長沼町に住んでいる。レジメはなかったが、これまでの歩みをスライドで紹介しながら、テーマである「私の彫刻観」を展開してくれた。


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私は多くの彫刻家を知っているが、それぞれが彫刻となる素材との出会いがあり、彫刻家はその素材と出会うことで自分の世界を大きく広げていくことになる。

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伊藤は、特に石という物質が持つ量塊性に魅了された。さらに具象的形態よりも抽象形体に興味をもった。石との出会いは、大学で石彫刻家に師事したことがとても大きいようだ。師となる方は彫刻のメッカともいうべきイタリアで研鑽を積んでいた。師から技法を含めて様々なことを学び、ロダン、マリーニ、マンズー、さらに現代彫刻家マックス・ビルなどの仕事を知り、彫刻世界の広さと多様性に眼が開かれた。

実際に制作してみて、なによりも自らの内面から湧きでるものが、そこに宿っていないと作品にならないことに気づいた。

メディテーション(瞑想)を試み、心の奥にあるものを見つめながら、それが外に出てきて、形になるものを掴もうとした。当時は「地獄の思想」にも関心を広げたという。

このメディテーションが、制作する上で大きな生動力となった。これを通じて、彼岸(あの世)と現世(この世)についても認識するようになったという。つまりこのメディテーションにより、心の安定だけでなく、感覚を鋭くしたわけだ。
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ということは彼が造りだす形態には、生と死についての瞑想が介在していることになる。アジア的(東洋的)な思考方法を自らの生の処し方にいかしている、そんな内省的作家のようだ。私は、彼の彫刻作品は知っていたが、やこうした内面の深化を深める営みについては詳しく知らなかったのでとてもいい機会となった。

さて伊藤の作品には、円のフォルムがたびたび見られるが、それは心の奥にあるものと対話しながら、やはり導きだしたものであろうか。なぜなら円は宇宙全体そのもの、またリング(輪)でもあり、調和や円環するもののシンボルでもある。伊藤は、その円を至高のものとしているようだ。

制作する上で、大きな力となったことがある。場の力である。大学を卒業後、石川県にある吉野谷村に世話になった。とてもいい条件で住むことができた。吉野谷村は、小村であるが工芸の里として名高い。ここで豊富な材料を使い、彫刻三昧の日々を過ごした。
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武者修行のつもりで、様々な野外彫刻コンペ(神戸、宇部、須磨)にもチャレンジした。さらに各地で開催された彫刻シンポジウムにも参加し、現地制作を行い貴重な体験を積んだ。

今回スライドでみせてくれた作品の中でも、特に興味深かったのが、道内にある火葬場に置かれた黒い数点の作品だった。それらはまさに彼岸(あの世)と現世(この世)を繋いでいた。とても形態が黙しており、そこに深い精神性が宿っていた。

最近は、雪像制作でも活躍している。数人でチームを組みながら、現地制作をしている。雪を使って、短期間で制作する。制作費の援助もあり、これもなかなか面白いという。「なよろ国際雪像彫刻大会」での雪像制作を紹介してくれたが、コンセプトがしっかりしていて、作品としても価値のあるものだった。さらにロシアのクラスノヤルスク市で開かれる国際雪像コンテストやカナダや中国哈爾濱市国際雪像大会などにも参加している。国際的場でのさらなる活躍を期待したい。

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(文責・柴橋)   

第89回「イタリアの歴史的な地域資源の保存活用」

2018年10月26日(金)

○講 師=植田 暁(建築意匠・景観分析)

1963年札幌生まれ。1987年工学院大学大学院修士課程修了。学生時 「に建築活動集団「風の記憶工場」設立、1991年法人化。1991年ロー 「マ大学地域計画学部留学。2003年 NPO「景観ネットワーク」設立、2005年法人化。イタリアの農業景観を中心とした歴史的な地域資源保 「存活用にかんする研究と、北海道の景観を「まもり、そだて、ととのえる」 | まちづくりの模索に並行して取り組み、今日に至る。千歳市景観アド 「バイザー、近年の計画に中標津町景観計画。室蘭工業大学、北海学園 大学非常勤講師。代表作に「世羅の眼科」「TU3」。著書多数

景観づくりへの強い意志を感じた


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第89回レクチャーは、植田曉にお願いした。植田は、建築意匠や景観分析を主テーマとしている。今回は、「イタリアの歴史的地域資源の保存活用」という、やや難しいタイトルであったが、現地へのフィールドワークを踏まえたもので、とても興味深いものになった。  

建築家であっても様々なタイプがいるが、植田曉は「風の記憶工場」を主宰しながら、研究者としてたくさんの論文を残している。

特に植田は、都市文化の華開いたイタリア・トスカーナに着目しながら、歴史の特性により育まれた資源(地域の特性)がいかに現代的価値をもっているか、長年にわたり調査研究をしている。この分野で先駆的仕事をしているのが建築家陣内秀信である。植田は、そうした先駆的仕事に敬意を払いながら、自分のテーマを深めようとしている。

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植田は、イタリア・トスカーナに点在する諸都市の歩みから都市の再生の手掛かりを探ろうというわけだ。
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私が、レクチャーを聞いていながら、とても懐かしくみていた図像がある。それはフィレンツェと一時力を競い合ったシエナの画家が描いたもの。「善政のあり方」を寓意的に描いてある。画家の名は、アンブロージョ・ロレンツェッティという。シエナ市庁舎にある「平和の間」と呼ばれる部屋の壁に描かれている。

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そこには、「善政の効果」、「良き政府の効果」「都市と田園における善政の結果」などが主題化。同時に「悪政の寓意」が対比的に記されている。この図像から分かることがある。それは都市と田園の風景を生き生きと描いていることからも判別できるように、政治家が「善政」を行うためには、都市は農村としっかりと繋がっていなければならないということを示している。
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つまり都市と農村は対立・分離の関係にあるのではなく、農村があってこそ、都市の文化が豊かなになるというわけだ。イタリアでいうところの「パエサッジョ・ストリコ」(歴史的景観)には、そうした農村と都市の相互補完性が要となるわけだ。

植田が、レクチャーで使っていた言葉に「チェントロ・ストリコ」がある。<歴史的市街地>のこと。イタリア人は、その歴史的空間がかけがえのない資源価値をもつという視点を大切にしている。
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植田は、イタリアでの実地調査を踏まえながら、北海道の発展の方策を探っている。つまり研究者の顔だけでなく、生活の場から、つまり足元から地域再生を探っている。そのコンセプトは、「まもり、そだて、ととのえる」というもの。この話を聞いていて、政治家が「善政」を行うためには、都市は農村としっかりと繋がっていなければならない、という視点は普遍だと感じた。まさに都市と農村は繋がっているし、そうしていかなければならないからだ。イタリアで学んだ視点が生かされていると感じた。

地域興しのため幾つかの計画にも関わっている。その中には、千歳景観アドバイザーの仕事や中標津町景観計画などもある。
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今回は、中標津町の子供達と一緒に地域資源を活用した景観づくりのとり組みについても語ってくれたが、そのとり組みをしている子供達の表情がとても生き生きとしていたのが深く印象に残った。自分の町の資源とはどんなものか、それを考えながら生活し、未来に希望をもつ。とても大切なことだと感じだ。そんな「景観づくり」への強い意志を感じたレクチャーだった。(文責・柴橋)

第88回「書で日本の言葉を」

2018年9月28日(金)

〇講 師=石井眞弓(詩人・書家)

1943年旧満州佳木斯(チャムス)生まれ。中国の思いから母を「私は 89歳になりました」祖父を「カンバス」私を「ノスタルジーの羊」と 「詩にしています。自由律俳句の種田山頭火を書作品にして10回各地を まわっています。東急デパート(札幌)美術ギャラリーで個展。今回 は花の名 漢字 ひらがな 風景などを瞬時にとらえ内面を表す俳句 の素晴らしさを表現したいと思います。詩集『黄金色の永遠』『きょう 「もすること』『閉塞』。現在、北海道書道連盟女流書作家集団、龍渕書会、 「日本詩人クラブ 北海道詩人協会 「極光」の会員。


詩と書へのあつい想い

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第88回レクチャーは、サラメンバーの石井眞弓(書家・詩人)にお願いした。

タイトルは「書で日本の言葉」。レクチャーのために、作品を掲載した小冊子を作ってくれた。それをテキストにしながら話を進めてくれた。さらに書作品をレクチャー会場の壁に展示してくれたので、レクチャーを聞く上でとても大きな手掛かりになった。展示には、市川義一が協力してくれた。
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全体としてあまり大上段に構えることなく、淡々と話を進めてくれた。三部構成となっていた。第1部では、書体と墨をかえての書。第2部は、自作詩を素材にした。第3部は、第5回「北海道横超忌 -吉本隆明―その遥かな射程を追って―」での評論家加藤典洋の講演に触発されたものをみせてくれた。

石井は、1943年に旧満州の佳木斯(チャムス)に生まれている。風土が異なる場で生まれ、日本に帰ってきた。故郷がいまは他の国の中に存在するが、旧満州での体験を石井はとても大事にしているようだ。自らの詩の中でも、自分のことを「ノスタルジーの羊」として譬えているほど。その詩に「数十年前 うぶ湯を使ったあの国 瓶に詰めた羊のおっぱいで 生きのびたわたし」とある。<羊のおっぱい>を飲んで育った<あの国>への想いが詠われていた。書は、その部分ではなく、後半の詩句<緑の海の染まった 被写体の羊さんに メッセージをおくる そのままでいいからね サルビアが真赤 一陣の風>を選んでいた。いずれにしても、幼い時に過ごした時間への想いが込められていた。

今回の小冊子の表紙と裏を「龍」の書字で飾った。表紙は青を空に、にじみを雲に見立て、龍が天から降りる様子を形象化した。そこにも、生地への想念を散見できた。
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 石井は、詩と書の双方で自分の世界を築こうとしている。その双方が必要であり、切り離されないようだ。普通なら、やや中途半端といわれるかもしれないが、それが石井の表現の仕方であり生き方のようだ。

 新しいもの、現代的なものに関心があるようだ。自由な感覚で、物事を見詰めていこうとしている。それはかなり前から培われてきたものらしい。藤女子短大を卒業後も、デザインに関心を抱き、デザイン研究所で学んだ。さらに聴講生として道教育大札幌校の門を叩きデザイン学を修めた。こうした美への探求心は、今も健在である。その後は、山頭火や日本の心をテーマにして書にしている。

今回は、現代社会に対しての感慨を「崩壊」や「怒濤」、柳田国男の「先祖の話」から、「死が死として集まる場所がいまないということ、そのことを私は痛感しています」を選んでくれた。今という時代への危機意識が、これらの書字を書かせたのであろう。

一方で、はやり自作の詩を素材にした書は、とてもいい味を放っていた。「水芭蕉」や「ノスタルジーの羊」などは、自分の心情がうまく宿っていた。なにより女性的感覚をいかした言葉が、書になることで、より魅力を放っていた。さらに線が優美な流れをみせる「女は美しい」やにじみをいかした「戀」は、やはり男性の書では表出しないものが溢れていた。
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今回みせてくれた書からは、淡墨や濃墨などを使いながら、いま一番好きな言葉を選んでいることを伺い知ることができた。

レクチャーはやや時間を残して終わった。もう少し、選んだ詩をどう解釈したか、それをどう書として筆を動かしたか、そんなことを触れてもらうとよかったとも感じた。(文責・柴橋)

2018年10月19日 (金)

第87回「上階(じょうかい)のをかし一山本東次郎家の人と芸一」

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講 師=松井由孝(前・帯広百年記念館館長)

1951年帯広生まれ。前・帯広百年記念館館長。現在、同館友の会会長。帯広狂言づくしの会会員。20代から展覧会の企画展示に関わる。 19891月の帯広市民文化ホール柿落し公演、8月の道東初の「お 「びひろ薪能」を事務局として参加。それが縁で、人間国宝の狂言師山本東次郎一門の「狂言づくしの会」を、1991年から 25年間帯広で開催し、芸術新興で、表現者と鑑賞者は両輪であり、すぐれた鑑賞眼を育てるには「いいものを観る」をモットーに活動。浄土真宗 本願寺派の僧侶でもある。

文化を仕掛ける人

 第87回レクチャーは、帯広から松井由孝を迎えた。タイトルは「上階のをかし―山本東次郎家の人と芸―」。やや難しいタイトルとなったが、<上階>とは、幽玄性のある<高次>の、<をかし>とは、品位のある<をかしみ>(笑い)とでもいうべきか。世阿弥の言葉という。山本東次郎とは、大蔵流の狂言師であり、日本の狂言世界において名だたる芸をみせている方だ。

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松井は大きく3つのことに触れてくれた。最初は自己紹介と歩み。40年間にわたり。帯広の地で文化の種を蒔きつづけているが、その難しさと、実現できた時の喜びを語ってくれた。その中で<帯広方式>とでも命名したいシステムがあるという。文化づくりのためには、<セクト>(組織)の枠をこえて汗を出し合うというもの。オーケストラ、オペラ、バレー、美術展においても、協働関係を築いているという。いいものを創るために、その一点において一致する。とても素晴らしいことだ。

そうした活動を通じて、もう1つ大切なことを学んだという。それは何か。松井は、「鑑賞者を育てること」がとても大切だという。それができていないと、文化の華は開かないし、根づいていかないという。

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2つ目に、十勝の文化づくりに関わった10年間の歩みを紹介してくれた。その契機をつくったのが、子供の誕生祝いに、帯広の弘文堂で買った一枚の絵。以来画家の仕事に関心を抱いた。さらに仲間と企画集団「ニュー・ホラーズ」を立ち上げた。<ホラー>とは、<ほらを吹く>こと。アンチ帯広、つまり帯広の外縁にある町に生活するメンバーが軸となった会。<ほら吹き>で終わらせずに、アメリカのロスアンゼルスとの交流展を実現しているから、凄いことだ。

松井は、帯広市の教育委員会に長く勤務し、最後は帯広100年記念館館長で勇退した。その間、文化の足場づくりに専心した。地方で文化を興すことは大変なエネルギーを要するものだ。それを彼は、日々行ってきた。頭が下がるばかりだ。そうした活動の積み上げが、文化ホールや道立美術館のオープンへ、さらに道東で初の薪能の実現につながった。

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3つ目に、四世山本東次郎の芸の魅力を語ってくれた。知らないことを教えられた。狂言には、大蔵流と和泉流の2つがある。これ位は、知識として知っていた。ただ違いとなると皆目見当がつかない。

今回紹介してくれた大蔵流は、世阿弥から、大蔵虎明、さらに式楽へと連なる正統派に属するという。格調、品位、気迫に満ちた芸風を堅く死守した。山本家は、<貴族>風に堕すことなく、特に明治維新という大変動下にあっても、<武家>風を固守した。そこには強い意志が働いていた。東次郎の芸は、「乱れても盛んなるよりは」という言辞に収斂するという。まさに表面的な隆盛に浮かれることなく、流行や甘言を排して、日々の修練を通じて初原の芸に立ち戻れということ。

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このやや時代に反するような固執。芸事における深いものを感じた。伝統芸と一言でいうが、その芸を継承し次の時代に正しく伝えていくためには、指導者の鉄の意志が必要となる。

帯広で、山本家の狂言を何度も開催している。それだけ「剛直」と評されることの多い東次郎の人格と芸に惚れているからであろう。

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最後に、その四世東次郎の作品「月見盲人」(「月見座頭」ともいう)の映像をみせてくれた。こんな物語だ。月の明るい晩、下京に住む盲人が虫の音を聴きに野辺に出た。そこに月見に来た男と出会い、酒を酌み交わすが男は別れ際に盲人と喧嘩に。別人を装ってわざと盲人につきあたり、杖を奪い取って引きまわした。盲人はさびしく帰途に着く。このように笑いはない。むしろ哀しみが潜んでいる。こうした月見や虫の音が籠った幽玄の美。それが東次郎の真髄のようだ。ただ時間が不足し、全体をみることができなかったのが残念だった。(文責・柴橋伴夫)

第86回「書票の魅力」

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講 師=原 滋(書票収集家)

1928年撫順(中国)に生まれる。1945年終戦の玉音放送を新京(長春)できく。1946915日に引揚船で博多に上陸。翌年4月に「新潟高等学校(旧制・官立)入学。1950年に大阪大学工学部(旧制)入学。1953年に北海道電力に入社し、1984年に退社する。一級建築士、民事調停員。

書票の美に関心を抱き収集と研究を開始。1992年に開催された世界書票会議札幌大会実行委員。現在、日本「書票協会北海道支部長として、展覧会を開催するなど、書票普及活動を行っている。


蔵書票に魅了された男

 

第86回レクチャーを、サラ・メンバーでもある原滋にお願いした。タイトルは「書票の魅力」だった。1928年生まれというが、その年齢を感じさせない<気合い>が入ったレクチャーだった。なによりも蔵書票に対する熱い想いが半端ではなかった。

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世の中には、不思議なものにとりつかれた人がたくさんいる。人は、それを「好事家」というかもしれない。この「好事家」という言葉。ただの「余技」を持つ人と想ったら間違いだ。そこに「余技」をこえるものがたくさんあるからだ。ではこえるものとは何か。一言でいえば、人を虜にする魔性とはいわないが、人の心を躍動して止まないものがそこに潜んでいるのだ。

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 では原は蔵書票に、どんな「心の躍動」を感じたのであろうか。それは何かをレクチャーを聴きながら考えてみた。その1つの答えが、こういうものだった。蔵書票は、決して「書物」の飾りではなく、「書物」と同じ位とはいえないが、それに近い価値をもつもの。蔵書票を造った美術家(造形家)の「個性」が迸りでるから価値があるのだ。たしかに蔵書票は、とても小さな「宇宙」にみえるが、まちがいなくその美術家(造形家)のいのちと愛情が宿ったもの。

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蔵書票家は、それを入手し、他の人と交換し、その美を相互に分かち合うことをとても大切にしている。その1人が原滋だった。

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いうまでもなく蔵書票は蔵書家からの依頼により、美術家(多くの場合は版画家)が創作するもの。だから美術家からの、その蔵書家へのメッセージ、つまり返礼(応答)でもある。どんな方法で返礼をしてくれるか、それを蔵書家はじっと待っているわけだ。この様に考えてみると、蔵書票制作は極めてパーソナルな親密な関係があってこそ成立するものだ。

 レクチャーの内容を踏まえて、私が感じたことを手短かにまとめて記しておきたい。


まず日本の蔵書票の歴史である。明治期に来日したエミール・オルリックなる人物がいる。チェコ生まれのエミールは、『明星』(第7号)に西洋蔵書票「エクスブリス」4点を掲載した。これが日本初という。ちなみに「エクスブリス」とは、ラテン語で<蔵書からの一冊>を意味する。

こうして絵と文をいれた図案化したものが、蔵書家の間で好まれていった。どんな絵と文を狭い空間にいれて構成するか、造り手の腕の見せ所となった。創り手には、版画家が多くなった。とすれば蔵書票は、オリジナルな<小さな版画>ともいえるわけだ。私も実際に幾つかの蔵書票を拝見したことがあるが、まさに限定版の版画にみえた。

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さて蔵書票の研究や収集もさかんだという。大学や図書館でもコレクションが所蔵されている。道立図書館にもかなりの数があるという。道内では川元栄一コレクションが有名という。

 いま版画家が蔵書票を制作するケースが多いとのべたが、道内でのその第一人者が大本 靖という。かなりの数を制作している。また原は、武井武雄や平塚昭夫も重要という。平塚昭夫は、1947年に苫小牧市で生まれた。合羽摺りの技法で版画を制作している。2004年に台日蔵書票交流展で特選をうけている。私が知らない名もあった。和の味をみせる敦澤紀恵子、薬袋みゆきなどの女性の名をあげていた。

原は、国際的な蔵書票に関する組織にも関わっている。2013年に世界書票会議札幌大会を開いている。この大会の世話人を原がおこなったこの時に参加者に配られた記念品が平塚昭夫作の蔵書票だった。

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小さな「宇宙」をみせる蔵書票の世界。どうも原のこの蔵書票への偏愛は、まだまだ続くようだ。(文責・柴橋伴夫)

第85回「カメラは写真のない時代に既に存在していた」

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講 師=石崎幹男(写真家)

1949年芦別市高根町生まれ。

個展は「HUMAN LANDSCAPE(88) RECITATIVE-ベルリンの壁」(90) HITO NO SHIMA(98)骨の複眼「澱みの時間軸」(07) など多数。

「テキサスヒューストンフォトフェスタ('89) 「に出品。「札幌雪祭り会場スライドショウ「FRANCE EN TACTES('99)

北海道大学総合博物館企画展として、「分子のかたち」(108)、「疋田豊治ガラス乾板写真」(109)、「北大古生物学の巨人たち」「惑星地球の時空間」 (17) がある。「イメージのロゴス」展 (17)に出品。

東京コピーライターズクラブ新人賞、日本新聞協会賞、電通地域広告賞、札幌ADCグランプ 「リなど多数受賞。本として『PARCO アーバンアート作品集』『背中で見た夢』『北大古生物学の巨人たち』『惑星地球の時間軸』などがある。


写真が絵画的力を持つことを教えてくれた

 

第85回レクチャーは、写真家の石崎幹男にお願いした。タイトルは、「カメラは写真のない時代に既に存在した」。なかなか刺激的なタイトルを掲げてくれた。それを説明するために、写真の歴史から解き明かしてくれた。石崎は、写真の始原を切り拓いてくれたトルボット(タルボットともいう)の名をあげていた。

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このトルボットは、「自然の鉛筆」を発表した。世界で最初の写真集だ。それは「カロタイプ」という写真技法を用いた。ただ露光に1分かかる。もう1つ写真の技法の成立につながったのが、「カメラ・オブスクラ」であった。意味は「暗い部屋」を指している。当時の画家達も、この「カメラ・オブスクラ」を活用していたようだ。ただ像が反転するので鏡が必要となる。

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このような写真成立に際して、科学者はいろいろな実験を反復していたわけだ。

 石崎は、これまで様々な分野で仕事をしてきた。それを写真をみせながら語ってくれた。広告写真の仕事をしていた。世界各地(ニューヨーク、ベルリン、バルセロナなど)を巡り、人間や風景を見詰めてきた。その中では、彼の代表作ともいえるある駅での一枚「kiss」(「再会」ともいう)もある。群衆の中、抱きあう男女。ある種の「決定的瞬間」を捉えていた。

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石崎は「内なる世界」を大切にする。こんな言葉を記している。

「心の内部の世界」にある衝動、感動、嫌悪、好奇心などによって「外側に広がる世界」のなかから特別の対象をみつけだし、カメラは、その対象の一部分を切り取り、記録する。
カメラは、その写真家の眼の決定によってだけ、機能できるものなのである」

このように、自らの「心の内部の世界」に重心を置きながら、眼差しを外へと送りだしている。

また写真のドキュメント性をいかんなく発揮しているのが、「ベルリンの壁」であろうか。当時の世界を支配していた冷戦体制が崩壊する、そんな象徴的事件を無言で証言する「ベルリンの壁」。さらにナチスの残忍な記憶を残す施設など。これらはカメラの記録性、現場性をいかんなく発揮していた。こうした歴史的現場と立ちあうなかで、生と死を見つめる眼を体内に宿したにちがいない。

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 広告写真の仕事で、私も知らなかったこともあった。道内企業や雑誌広告の仕事をしていた。かなり身近なところで仕事をしていた。とすればかなり前から、広告写真を通じて石崎と出会っていたことになる。

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また石崎は、北大の総合博物館とコラボレーションしている。『分子のかたち』『北大古生物の巨人たち』などの写真集もある。この、北大の総合博物館との仕事には、この分野の先駆的仕事をフォローしているナショナルジオグラフィック』への敬愛、そんな意識が反映しているようだ。古生物に宿った時間と出会い、そこから何を感じとること。

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彼は、よく「骨の複眼」という言い方をする。あとから付加された肉を排し、骨のそのもの立ち戻ること。この骨の思想、それを精神の運動の梃子とする。禅の思想から汲みとったものを独自に昇華した。さらに複眼を介在させた。

 さて私が一番、関心をもっているのが、最近の仕事だ。このことを多くの人に知らせたくてこのレクチャーをお願いしたのだった。それは2017年の『イメージのロゴス』展でも出品していた「海」や「空」の「はざま」を捉えた写真だった。

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それは絵画的にいえば、マチエールだけが開示されたような作品だった。「はざま」のもつ永遠という名の時間。「あわい」の中にある「無碍」という空間の漂い。グレーに染まる澄んだ空間。沈思する写真でありながら、実に多くのことを語ってくれた。

夾雑物はなにもない。その何もないことが、いかに芳醇であるか、それを静かに語っていた。光の粒子がマチエールを形成し、写真が絵画的力を持つことを、教えてくれた。

それはどこか俳句的な時間が流れていた。「内なる世界」を見つめる「眼の力」を使いながら、さらにどんな展開をみせるか、楽しみに待ちたいものだ。(文責・柴橋伴夫)

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